GIFアニメをJavaScriptで表示する方法:パクリ防止に使えるかも

GIFアニメーションといえば、アニメーションするGIFファイルを表示するのが一般的です。

 今日は、別の方法をご紹介します。

 下の画像をご覧下さい。GIFアニメーションの全てのスライドが一枚のGIFファイルに入っています。当然、これではアニメーションにはなりません。

 これをアニメーションとして出力したものが下のリンクです。

JavaScriptを使って、画像をアニメーションとして出力

 いかがでしょうか。まるでアニメーションGIFのファイルを見ているように感じると思います。しかし、実際には、上の画像を表示しているだけです。したがって、GIFアニメとして表示されているものをダウンロードしたとしても、それは、GIFアニメではなくただの画像ファイルだと言うことです。

 このような方法を採るメリットとは何なのでしょうか。
 少なくとも、せっかく作ったGIFアニメを他の人にパクられる恐れはかなり少なくなるのは間違いありません。

 実は、これはPNGアニメーションにも対応しているので、SNS関係でアプリを作っている方には貴重な情報かも知れません。

 以下で、具体的な作り方をご紹介します。webサービスを使うので、とても簡単にできます。

作り方

  1.  『animizer.net』にアクセスします。
  2.  お手持ちのアニメーションGIFファイルをアップロードします。(画像の①)
  3.  アップロードが完了したら、下の方にある『Generate animation』ボタンをクリックします。(画像の②)
  4.  次に、右側にある[Additional download options:]で下図のように二ヶ所にチェックを入れて、[Download]ボタンをクリックしてダウンロードします。(画像の③)

 基本的には、これだけです。

 上の画像の④のスライダーでGIFアニメーション全体の時間を調整できます。

 また、その下にある⑤[Modify frame settings]ボタンで、フレーム毎の時間調整が可能です。

 しかし、もともと完成したGIFアニメを変換するので、このような操作は基本的には不要なはずです。

 ダウンロードしたフォルダには、[preloader_JS.html]というファイルと、[images]というフォルダの中の[sprites.gif]というファイルがあります。ファイルは全部で二つだけです。

 [sprites.gif]ファイルをブログにアップロードします。そのパスをメモします。

次に、 [preloader_JS.html]をメモ帳で開き、上でアップロードした[sprites.gif]のパスを書き込み上書き保存。その後で、この [preloader_JS.html]をブログにアップロードします。

 手順は以上です。

 この手法は、JavaScriptを使って、画像をGIFアニメーションとして出力する方法でもあるのですが、やはり、手間暇かけて完成したGIFアニメを簡単には流用させないという目的での利用が主体かなぁと思います。

 上の掲載した画像ファイルからGIFアニメを作れと言われたら作りますが、実際はやりたくありません。きれいにできないからです。この意味で、コンテンツの無断流用防止、あるいは、販売用のスマホアプリPNGアニメのデモ用として使えるかも。

 

美しいCM:やはりCMはこうじゃなくちゃ、アイキャッチ画像の神髄

 ネットで興味深いCMがアップされていました。ロシアで放映されているヘアケアブランドの「パンテーン」のCMです。

 先ずは、CMをご覧下さい。

 Publicidad de Pantene Rusia Junio 2012

 テレビで流れるCMは、製作者とその業界の人たちが勝手に自画自賛しているという印象ですが、誰が見ても美しいと思える映像があると思います。

 それがこのCM。

 CMのプロット自体は目新しいことは何もないのですが、視聴者に訴えかけるものがあります。

 それは、・・・。

 ダンサーの女の子のおばあちゃんが年をとらないこと(笑)。

 3歳くらいの幼児からティーンに成長した女の子までを見守るおばあちゃんは、少なくとも15年以上経っているにもかかわらずまったく老いを感じさせない。さすがはパンテーンです。

 もしかしたら、『おばあちゃん』ではなく、『お母さん』かも。高齢者出産を支える恐るべしパンテーン。

 突っ込みどころが満載の動画ですが、これを見終わった後に爽快感を感じます。CM独特のイヤミがないのです。まるで映画のワンシーンを見ているようです。CMを見て「損した」のではなく、「得した」と思わせる作り方ではないでしょうか。

 本記事最上部のアイキャッチ画像は、修正を加えています。

 これに吊られてこの記事を閲覧した人は、欺された!と思うのか、それとも、これってどうやって作ったの、と思うのかでその人の生き方が変わる・・・かも。

 結局、何を見たかったのかということでしょう。

 動画には上のようなシーンはありません。

 あなたは何を期待していたのか?

 それを突いた画像になっています。まさに、アイキャッチ画像です。

この新体操を演じている女性は誰?

 気になったので調べてみました。

 な、な、なんと、ロシアの新体操金メダリストじゃないですか。
 どうりで上手なはずだ!

 名前は、エフゲニア・カナエワ(Yevgeniya Kanayeva)。1990年4月2日生まれなので、現在27歳です。

 このCMが撮影されたのは、2012年頃のようなので、彼女はその時21歳くらいでした。16歳くらいの少女に見えます。
 身長は172cmと長身ですが、動画ではそのようには見えない。

 北京オリンピックの個人総合で金メダルを獲得。2009年から2011年にかけての世界新体操選手権において、史上3人目となる個人総合3連覇を達成。なんともスゴい女性のようです。

 北京オリンピックでの彼女のリボンの演技が下の動画です。

 YouTube, “Evgenia Kanaeva Beijing 2008 Ribbon”

 2012年12月4日に現役引退を宣言。ということは、この動画は、現役時代の最後に撮影したものでしょうか。

 ・・・と思ったのですが、上の動画を見ると、やはり、北京オリンピックからあまり離れていない時期に撮影された動画と考えた方が良さそうです。オリンピック当時、彼女は18歳でした。

 美人と言えば美人なのでしょうが、容姿よりも、アスリートとしての実績が素晴らしい。CMもきれいだし。

 下の画像は2013年に撮影されたものです。少女らしさは消え、すっかり成人女性です。

Yevgeniya Kanayeva

 エフゲニア・カナエワは、2013年夏に結婚し、2014年3月19日にお子さんが誕生しました。
 
出典:
Alchetron, “Yevgeniya Kanayeva
 

和宮が初潮を迎えた日はいつなのか?:伝承の誤りを暴く

 皇女和宮の降嫁の旅に関する情報は、本当にたくさんあります。中山道沿いの宿場町を売りにしている観光地は、必ずといって良いほど多くの情報を発信しています。

 その情報の中で気になったのが、和宮が降嫁の途中で初潮を迎えたという伝承。

 最初は、よくこんなことが伝承として伝わっているなぁ、と思った程度だったのですが、和宮の記事を書くためにいろいろ調べていたら、和宮が初潮を迎えたとされる日が複数あることが判明。

 さすがは皇女。何度も初潮を迎えたらしい・・・。

 冗談はさておき、一度しかないはずの特定の日にちが複数提唱されているというのは、どうも気持ちの良いものではありません。本当はいつなのか。

 今日は、この謎に迫りたいと思います。

 管理人にとって、どうでも良いことなのですが、事実と違うことが史実であるかのように語られているのは納得できません。何となく『気持ち悪い』。

和宮が初潮を迎えた日

 最初に結論を書くと、和宮が初潮を迎えた日付けは、実は公文書に残っています。それだけ重要な出来事だったということでしょう。降嫁の途中で初潮を迎えたというのは都市伝説なのです。

 和宮が初潮を迎えたのは、万延元年6月16日(1860年8月2日)のこと。

 和宮は1846年7月3日生まれなので、14年4週2日で初潮を迎えたことになります。

 公文書には、「御月見」と記載されています。
 まずは、その公文書を見てみましょう。

静観院宮履歴 Source: [1]

 この公文書は、明治4年6月28日付け、明治政府宮内省が京都府宛に作成した『静観院宮履歴ヲ調査ス』という文書です。

 頭書きには、『京都府へ達 辨官 静寬院宮へ別紙ノ通 御沙汰相成候條 此旨為心得相達候事 四年六月廿八日』とあります。

 辨官(弁官(べんかん)とは、朝廷の最高機関、太政官の職の一つのようです。

 その別紙に静寬院宮(和宮)の来歴がわずか10行にまとめられて書かれています。

 内容は、『静寬院宮家来届』とあるので、和宮の家来が作成したもののようです。いわば、朝廷の正式文書です。その内容に間違いがあるとは思えない。

 その中で注目すべきは、履歴9行目の『萬延元庚申年六月十六日 御月見』の記述です。
和宮の履歴をわずか10行にまとめられた文章の中で、この『御月見』が和宮の初潮の日付けを示しているのは間違いありません。

管理人の悩み

 話を進める前に、この記事をアップするかどうか悩んだことを書きたいと思います。

 実は、この記事はかなり前に書いたものです。しかし、アップするのを控えていました。その理由は、この記事のコンセプトが気に入らなかったから。初潮をいつ迎えたかなどどうでも良いことです。

 そう思っていたのですが、明治の公文書を閲覧していたとき、和宮の月見という記述を見つけました。それも、明治政府が作成した報告書の中にです。和宮の経歴が書かれたわずか10行足らずの報告書の中にある「月見」という記述は、初潮の日付けを示すものだと確信しました。

 その日付けは、和宮の降嫁の前になっています。

 つまり、和宮が降嫁の途中、中山道で初潮を迎えたという説は、まったくのでたらめということになります。
こんなことを書いて良いのだろうか。

 嘘の歴史にウンザリしている管理人は、中山道沿いの旧宿場町の唱える説に異論を唱えることにしました。

降嫁の途中、中山道で初潮を迎えたという説

中山道板鼻宿

 中山道の伝承では、板鼻宿到着後、初潮を迎えたとされています。

「板鼻宿本陣跡:板鼻公民館近くにある。この本陣の書院に孝明天皇の皇妹和宮親子内親王が、文久元年(1861年)11月10日宿泊し、初潮が確認され、その遺物を祀ったとされる塔がある。」(Wikipedia [2])

 板鼻宿は、現在の群馬県安中市にあった宿場町です。京から107里7町20間( 421.2㎞ )。江戸日本橋までは112.7㎞の距離にあります。 

 11月9日(西暦12月10日)には「坂本宿」に宿泊、「安中宿」では休憩。
 10日(同12月11日)には「板鼻宿」に宿泊。江戸には15日(同12月16日)に到着。
 板鼻宿到着後、初潮を迎えた、数え年16歳だった和宮。

 この時の穢れ物を埋めて、土の上に石祠を建てたもの。

 予想外の時期に生理が始まり、万一のことを心配したお付きの女官や母親の気遣いにより、念のために医師まで呼ばれた、ということでしょう。

 ここまで詳細に伝承が残っていると、誰もが「板鼻宿初潮説」を信じたくなります。

 でも、明治4年の公文書が、和宮の初潮の日付けを偽造する理由がありません。
 和宮は、明治2年2月3日(1869年3月15日)に京都に到着し、この時期、京都在住でした。

 政治的な利用価値のなくなった和宮の経歴を明治政府が偽造する必要はなかったのです。むしろ、太政官発京都府宛の公文書であることから、この履歴に書かれている日付は、和宮の侍女から直接聞いた日付けだったのではないかと思います。「板鼻宿初潮説」よりも信憑性が高いと思います。

 和宮の降嫁の旅を見ると、(西暦)11月22日に京都桂宮邸を出発して、20日目の12月11日に板鼻宿に到着しています。そして、25日目の12月16日に江戸城清水邸に入ります。

和宮降嫁日程表

 長旅の終盤で体調を崩した和宮が乗り物酔いなどの理由で吐いた、というのが真相ではないでしょうか。その汚物を埋めたところに祠を建立した。
 
 降嫁には医師も同行しているので、和宮が体調を崩したからといって町医者が呼ばれるようなことはない。つまり、和宮の状態が外部に漏れるようなことはなかったのではないでしょうか。和宮がここで初潮を迎えたという伝承は、皇女降嫁という世紀のイベントに興奮した板鼻宿の住民たちのお祝いムードの中で生まれた都市伝説のような気がします。

出典
1. 国立公文書館デジタルアーカイブ 「静寛院宮履歴ヲ調査ス

2.Wikipedia、「板鼻宿