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100年前に亡くなった少女の朽ちない遺体の謎は解かれているらしい

 

はじめに

 イタリアの少女のミイラが、まるで生きているかのような保存状態を保っている。このミイラについては、「世界で最も美しいミイラ」としてテレビで何度も紹介されているので、ご存じの方も多いと思います。

source: NATIONAL GEOGRAPHIC NEWS

 彼女の名前はロザリア・ロンバルド(Rosalia Lombardo:1918年12月13日 – 1920年12月6日)。今年、ロザリアは満100歳の誕生日を迎えます。死後、98年です。

 この少女のミイラにはいくつかの謎があるのですが、その多くは解決済みです。

 いつまでたっても「謎だ謎だ!」と騒ぎ立てることで収入を得ている人たちがいます。そういう人たちに限って、数十年前に書かれた記事を引用して、未解決というジャンルに分類する傾向があります。読者を完全になめています。

 世の中は、ネットの時代。世界中の情報を容易に閲覧できる時代になりました。

 いつまでも「謎だ謎だ!と騒ぎ立てるのではなく、「これまで謎とされてきたことの何が解決して、何が謎として残っているのか」という正しい情報を発信する時代に私たちはいるのではないでしょうか。

 今回は、眠れる美少女ロザリア・ロンバルドの謎に迫りたいと思います。

 管理人的には、幼子(おさなご)が亡くなったことをテーマとする記事なので、同様の不幸に遇った知り合いのことやそのときの通夜・葬儀のことが頭に浮かぶため、あまり気が進みませんが、一部の商業資本が情報を歪めているようなので、この記事を書くことにします。

この話題おける管理人のスタンス

 ロザリアは2歳の誕生日を前に肺炎のため亡くなりました。

 子を持つ親として管理人が感じるのは、ロザリアの両親がどれほど彼女の死を悲しんだかということです。特に、母親は、気が触れんばかりの悲しみに包まれていたと思います。

 親として、幼くして亡くなった娘のために、できるだけのことをしてあげたい!

 そんな気持ちでアルフレード・サラフィアに遺体修復を依頼したのでしょう。

 ここからが、管理人の経験とは異なる点です。

 遺体修復は、剥製作りと同じで、腐敗しやすい内臓を全て除去し、「皮の部分」だけ原形をとどめる。こんな方法が採られたようです。

 管理人の知人の幼児が亡くなったときも、解剖で臓器のほとんどが検体として採取され、残ったのは人の皮だけ。小さな身体の中の臓器はほとんど取り除かれています。残るのは身体の皮だけです。

 この話は、管理人が外国にいたとき、生まれて数ヶ月で娘さんを亡くした父親から、その娘さんの通夜の席で、彼女の遺体の前で聞いた話です。管理人は、そのまま、夜明けまでその場に留まりました。「深い悲しみ」。それ以外の言葉が見つかりません。

 余談ですが、お通夜の斎場で、別人のお通夜に来ていた人たちが深夜、見学に来ました。彼女らはとても明るく、『自分たちの「遺体」は体液が漏れ出してきて・・・、でもこの子はきれいで美しい!」と脳天気なことを言っていました。確かに、その幼女はとても美しく、将来美人に成長することは間違いないと確信できるほどきれいな女の子でした。しかし、この言葉は、どれほど遺族を傷つけるのか、訪問者たちは全く無頓着のようでした。天寿を全うした人と幼くして亡くなった子供。当事者と傍観者とはこれほど違うのかと思った瞬間でした。

 読者の方は、ロザリアのミイラのことをどのように見ているのかは、管理人には分かりません。しかし、この記事を書くに当たって、幼子の死と残された肉親の悲しみを記事の主題に置くべきなのではないかと思いました。

世界一美しいとされるロザリア・ロンバルドのミイラ

 「世界一美しいとされるロザリア・ロンバルドのミイラ」とはいかなるものか? いつものように 「Wikipedia」で確認してみましょう。


Photo: ANCIENT ORIGINS

 「ロザリア・ロンバルド(Rosalia Lombardo, 1918年12月13日 – 1920年12月6日)は、2歳に満たずに病死し、イタリアのパレルモにあるカプチン・フランシスコ修道会の地下納骨堂(カタコンベ)内にある聖ロザリア礼拝堂に葬られている少女。将軍であったマリオ・ロンバルドの娘で、1920年に肺炎のため1歳11ヶ月で亡くなり、カプチン・フランシスコ修道会の納骨堂に葬られた。納骨堂に安置されている約8,000の遺体の大半が白骨化している中で、巧みなエンバーミングの施されたロザリアの遺体は、死後1世紀近くを経ても生前と変わらぬ姿を留めている。その神秘的な姿から「世界一美しい少女のミイラ」と呼ばれることもある。父親の希望でミイラ化されたが、その後数年で遺族が亡くなり墓参りする者はいなくなったという。

 ロザリアの遺体には、遺体保存専門家で医師でもあったアルフレード・サラフィア(英語版)の手により防腐処置が施された。サラフィアが秘密主義者であったため、遺体保存方法は永年に亘り不明とされ、ロザリアの遺体はカタコンベ内における謎や奇蹟と見なされてきた。しかし2009年、イタリアの生物人類学者ダリオ・ピオンビーノ=マスカリ(イタリア語版)の調査により、個別の遺体保存事例の使用薬品や保存処置手順などを記録したカルテが、サラフィアの2番目の妻の子孫の手元で発見され、具体的な保存方法が明らかになった。サラフィアのカルテによれば、ロザリアの遺体の防腐処置に用いられた薬品はホルマリン、塩化亜鉛、アルコール、サリチル酸、およびグリセリンである。アルコールが遺体のミイラ化を促進した一方で、グリセリンが適度な湿潤を保ち、サリチル酸が菌の繁殖を防いだと考えられている。特に評価すべきは亜鉛塩で、この作用によってロザリアの体が腐敗を免れたと見られている。また、最後にパラフィンが頬に注入された。パラフィン注入は顔をふっくらと保つためだと考えられる。」(出典:Wikipedia, 「ロザリア・ロンバルド」)

アルフレード・サラフィア

アルフレード・サラフィア

 最初に、このWikipediaの記事の問題点を挙げると、出典として唯一挙げているのが『東スポWeb』だということ(笑)。記事の内容的には英語版を引用しているだけなのでこんなものでしょうが、出典の挙げ方を知らない人が書いた項目のようです。孫引きでさえ問題なのに、玄孫(やしゃご)引きのような出典を挙げている。日本語のWikipediaとしてとても恥ずかしい。

 各国語のWikipediaを閲覧して感じたことは、確かに、これ以上のことはどこにも書かれていないこと。とても有名なミイラなのに、Wikiの説明が少ないのがとても不思議です。

 棺の中で眠り続けるロザリア。青いドレスを身にまとい、頭には大きな青いリボンをつけています。現在は変色して分かりませんが、2000年にこのカタコンベを訪れた米国マサチューセッツ工科大学の学生Andrea M. Peers がこのように書き残しています。でも、ドレスは確かに青いようですが、リボンはどう見ても黄色です。資料として残っているからといって、それが正しいとは限りません。

 Wikipediaに記載されているロザリアの遺体にエンバーミングを施したアルフレード・サラフィア(Alfredo Salafia: 1869 – 1933)とは、シチリアの遺体修復師(エンバーマー)、剥製職人だったようです。エンバーマーと聴いて思い起こすのは『壇蜜』さんのこと。彼女はエンバーマーの国家資格を持っているそうです。

 余談ですが、カプチン・フランシスコ修道会の納骨堂と聴いて思い出すのは、この前の記事『姿勢を正し、肩こりを軽減する「大阪市大のストレッチ」が話題に!』で、背中の筋肉「僧帽筋」の語源となったのが、ここ「カプチン・フランシスコ修道会」の修道士が着ている修道服のフードです。

眠れる美少女ロザリア・ロンバルドの謎

 ロザリア・ロンバルドは、1918年12月13日、イタリアのシチリア島北西部に位置するパレルモで生まれました。パレルモは中世シチリア王国の古都として栄えた町です。

 ロザリアは、1918年12月13日、将軍のマリオ・ロンバルド(General Mario Lombardo:1890-1980)と母マリア・ディ・カラ(Maria Di Cara:1897-1966)の娘として生まれました。ロザリアが生まれたときの両親の年齢を計算してみると、母親は21歳、父親は28歳くらいです。父親の死亡年を見ると、1980年! 何だこれは? つい最近まで父親が生きていたと言うことになります。軍人だった父親は、二度の大戦での負け戦の中、90歳まで長生きしたようです。偉い人は戦死しないようです。

 何が謎なんだろう。父親に聞けば良かったのに。

ロザリアの両親ロザリアの両親(Padres de Rosalía, Maria di Cara y el oficial Mario Lombardo)、Photo: “La Ciencia de Amara

 ネットで調べても、ロザリアの両親の生没年を見つけることはできないでしょう。管理人はたまたま見つけました。後で出てくるダリオ君の論文の中で。両親の生没年を知ることで、ネット上に見られるさまざまな憶測を全面否定することが可能になります。

 たとえば、Wikipediaに記載されている『父親の希望でミイラ化されたが、その後数年で遺族が亡くなり墓参りする者はいなくなったという。』という記述は完全な嘘で、読者に必要な情報を隠すことで「謎を維持しようとする」人たちがいることを示しているように思います。

 「じゃあ、そのダリオ君の情報が間違っているんじゃないの」、と思いますよね。でも、このダリオ君は、ただ者ではなく、このミイラ研究の第一人者なのです。後で詳しく説明します。

 この記事の初版では、ロザリアについて『資料では確認されていません。つまり、この少女が誰なのかは、棺に残された名前と生没年以外、正確には分かっていないようです。』と書きました。そのような記事をどこかで見つけたからです。でも、それはガセネタでした。ダリオ君がこれを解き明かしていました。

 ロザリアが埋葬されているカタコンベの区画は、貴族や富裕層が埋葬されている場所なので、裕福な家庭の子供であったことは間違いありません。もちろん、エンバーミング(embalming)の処置が施されているので、ロザリアが貧しい家の娘だった筈はありません。ネットで見ても、ロンバルド家のことはどこにも書かれていません。調べれば簡単に分かることなのに、調べないことで謎を大きくしようとする商業資本の臭いがプンプンします。

 100年も前に、二歳の誕生日の目前に亡くなったこの少女のミイラが有名になったのは、その保存状態にありました。管理人がこの少女のミイラのことを初めて知ったのは今から30年以上前のことです。当時、雑誌に掲載された写真は、まさに生きていると思えるほど生々しい幼児の遺体でした。ところが、最近のロザリアの写真を見ると、かなり劣化が進んでおり、当時の面影はまったくありません。

 このミイラには二つの大きな謎がありました。ひとつは、どうやって遺体処理をしたのかということでした。100年前に死んだ人間が、干からびた状態でミイラ化するのではなく、生前の状態をほぼ保っている。こんな遺体保存の技術が、ロザリアが亡くなった1920年にあったのか、という疑問です。もし、当時、そのような技術があったとしたら、ロザリアと同様の保存状態の生々しいミイラがカタコンベから1000体、10000体と見つかっても良いことになります。故人のことを悼む肉親が、同様の遺体処置を依頼したはずです。ところが、実際には、ロザリアの遺体以外は見つかっていない(なお、ロザリアの遺体は、このカタコンベに埋葬された最後の遺体の1体なのだそうです)。

 二つ目は、このミイラは蝋人形ではないかというものでした。常識的に考えれば、生前と同じ状態を死後数十年も保っているとは考えられません。現代の技術でも、液体窒素に浸けた冷凍保存でもしない限り不可能のように思えます。このため、このミイラはフェイクなのではないかという懐疑論者の無責任な憶測が生まれることになります。

科学的検証が行われる

 このような疑問に着目したのがナショナル・ジオグラフィック・チャンネルでした。

 2009年2月3日、ナショナル・ジオグラフィック・チャンネルが米国においてこのテーマで放映します。その内容は、多くの謎を解き明かす画期的なものでした。

  Source: YouTube “rosalia lombardo la niña del sueño eterno”

Source: YouTube “Rosalia Lombardo – mummia bambina di Palermo”

ロザリアのミイラのレントゲン写真

発見されたロザリアの遺体処置レシピ

 ロザリアの遺体にエンバーミングを施したアルフレード・サラフィアが、具体的にどのような方法を用いたのか長年謎とされてきました。

 2007年9月、ナショナルジオグラフィックのリサーチャーであったダリオ・ピオンビーノ=マスカリ(Dario Piombino-Mascali)が、サラフィアが残した処方が記された手稿を発見したことで、この謎が解けました。個別の遺体保存事例の使用薬品や保存処置手順などを記録したカルテが、サラフィアの2番目の妻の子孫の手元で発見され、具体的な保存方法が明らかになったのです。

 YouTube “.2. Le Catacombe Di Palermo .2.WWW.YOUTUBE.COM/USER/LORIMBERGA .mp4″

 この子孫の女性は、とてもきれいな方ですね。気になったので調べてみると、たぶん、”Maria Anna Lombardo” という方だと思います。シチリアの有名人のようです。

 動画の中で、見つかった手稿が下の画像です。

 発見されたアルフレード・サラフィアの手稿

 表紙を見ると、上部に “Alfredo Salafia” (アルフレード・サラフィア)と著者名が、下に “Nuevo metodo speciale per la conservazione del cadavere umano interno allo estado permanentemente fresco” (人間の遺体を新鮮な状態に保全する新しい特別な方法)と書かれています。この手書きの手稿は、10数ページの薄いものですが、雑誌に掲載された写真(ニューヨークの折衷医学院で彼が行ったエンバーミング法のデモンストレーション)もスクラップされています。

 2007年9月、この手稿を発見したダリオ・ピオンビーノ=マスカリという人は、イタリア出身の法医人類学者で、2007年にピサ大学大学院でPhDを取得している正統派の学者さんのようです。大学院卒業後、すぐに、ナスジオの調査員として、ロザリアの遺体の調査にあたりました。ナスジオに雇われたというより、資金提供を受けたというのが正しいかも知れません。

 ロザリアの遺体調査に関わるナスジオのYouTube動画や写真に、「若いお兄ちゃん」が映っていますが、あれがダリオ君です。たまに、「カタコンベの管理人」と誤って紹介している記事も見かけます(笑)。現在、40歳くらいだと思います。やはり若い!

 2018年現在、リトアニアのビリニュス大学医学部で主任研究員をされているようですが、イタリアのカタコンベなどに保存された遺体のコレクションについて総合的調査を行う “Sicily Mummy Project” を率いているそうです。

 なぜダリオ氏のことを長々と書いたかというと、問題のサラフィアが残した『処方箋』を公表した人物だからです。これが、骨董商が公表したものだとしたら信憑性が問われそうですが、ダリオ氏なら信頼できそうです。

 手稿に残された「処方箋」によれば、サラフィアが用いた保存技術は簡単なものでした。
 子供の血管系に化学物質の組み合わせたもの注入することによって、腐敗をほぼ止めることができました。サラフィアは、エンバーミングにあたって、自らの健康に有害なヒ素や水銀を使用していません。用いたのは、ホルマリン、グリセリン、硫酸亜鉛、サリチル酸飽和アルコール溶液を含む化合物(亜鉛を除く)で、これらは現在も使用されています。

 ロザリアの遺体は、固く石化したようだ、という記述をたまに見かけるのですが、棺の蓋は開かれたことがないのに、なぜ固いと分かるのか不思議だったのですが、イタリアには、似たように処置をおこなったミイラが標本として保存されています。

 イタリア北部の町サロの解剖学者ジョバン・バティスタ・リーニ(Giovan Battista Rini、1795~1856年)が残した頭蓋骨を切り開いたミイラの頭部など8体の標本が保存されています。1869年生まれのサラフィアがこの技術を知っていたのは間違いないでしょう。

 ダリオ氏らの研究チームは、この標本を調査し、遺体やその一部を水銀などの重金属を混ぜた溶液に浸す方法で“化石化”したものであるとの結論に達したようです。4)

 19世紀、20世紀初頭のイタリアにおけるエンバーミング技術はかなりの進歩があったようです。

 ところが、その技術は失われてしまいます。なぜなのでしょうか。

 1920年12月6日、ロザリアはジフテリアに罹患し、肺炎で亡くなります。6)  
 
 ジフテリアは、当時、パレルモで流行していた伝染病で、多くの子供たちが罹患し、特に二歳以下の幼児や新生児の死亡率は65パーセントととても高かった伝染病で、イタリアでは、1920年12月に大流行しました。まさに、ロザリアが亡くなった1920年12月でした。

 それから三年半後の1914年7月28日、第一次世界大戦が始まりました。4年間続いたこの戦争でのイタリア人戦没者の合計は、1,240,000人。単純計算で、毎日、850人のイタリア人が亡くなったことになります。この戦争で、大量虐殺兵器が初めて用いられました。爆弾でばらばらになった大量の遺体を早期に修復する、というニーズが生まれ、エンバーマーたちの役割が変わっていったということでしょう。

 細菌で汚染された遺体の処置を行うエンバーマーも罹患する恐れがありました。遺体のホルマリン処理は、遺体の腐敗を遅らせると共に、エンバーマー自身を感染から守る役割も果たしました。ジフテリアの予防薬がGlennyらによって開発されたのは、ロザリアの死の翌年、1921年のこと。この予防法とは、ジフテリア毒素をホルマリン処理して無毒化したトキソイド(ジフテリアワクチン)を接種するものです。偶然でしょうが、サラフィアのエンバーミング手法は、自分自身の健康をジフテリア菌から守ることにつながったようです。

Source: YouTube 「【世界まる見え】イタリアに眠る世界一美しいミイラの謎を調査せよ!④」

 ところで、この動画。著作権の問題はないの? 2015年9月8日から公開しているけど。

 さて、ここで深追いしてみます。ホルマリンって何? 理科実験室で瓶の中の標本が漬かっている液体なので、知っているよと思いますが、少し調べてみました。上に動画で『当時はまだホルマリンは発明されたばかり』というテロップが入ります。これって、本当?

 「ホルムアルデヒドは水に溶けやすいという性質を持っており、ホルムアルデヒドが 40%前後の水溶液はホルマリンと呼ばれています。ホルマリンが生物標本の腐敗を防ぐために使われていることは、多くの方がご存じだと思います。」(農林水産省HP

ホルムアルデヒドの歴史は古く、1859年にAlexander Mikhailovich Butlerovがメチレングリコールを合成しようとしたとき初めて報告されました。商業生産は、1880年代にドイツで始まり、1900年代初めにベルギー、フランス、米国に引き継がれました。

 ホルマリンを人体の体内に注入するというエンバーミングに用いたのは、サラフィアが最初だったのではないかと考えられています。

 サラフィアは、ホルマリンをロザリアの身体に血管注射することで腐敗を防いだ・・・、訳ではありません。そんなことができるのなら、魚の活け締めの必要もないことになります。日本人ならすぐにおかしいと気づくことです。死んで時間がたった遺体には、血管注射をしたとして注射液が入らない! サラフィアがN.Y.で行ったエンバーミング・デモンストレーションの写真を見たのですが、あれでは薬剤が体内の隅々まで届かない。届かなければ、そこから腐敗が始まります。死後時間の経過した遺体の隅々まで薬剤をゆきわたさせる方法こそが、サラフィアが開発した本当のノウハウなのかも知れません。

 以前、海外にいたとき、知り合いが事故で亡くなったのですが、そのときの防腐処置は、皮膚から注射して防腐剤を注入する方法が採られました。事故なので、検死が先に行われ、エンバーミングが始まるのは、死後、かなりの時間が経った後です。そのときの注射は、血管注射ではありません。血が流れていないのに血管注射をする意味がありません。そもそも薬剤が血管に入らないのだそうです。

 人間の血液は、すぐに固まるようにできています。死後、十数時間も経てば、太い血管以外、末端の血液は凝固しています。このため、エンバーミングでは、身体の表面、主に顔の部分に無数の筋肉注射をするのです。顔は注射針で穴だらけです。もちろんそれは目には見えませんが。これにより、顔が大きく腫れ上がり、変色します(管理人の経験)。

 アルフレド・サラフィアは、1869年11月 7日にパレルモで生まれ、1933年 1月31日にパレルモで亡くなっています。ロザリアが亡くなったパレルモの出身なので、田舎町の名も知られていないエンバーマーかと思ったら違いました。サラフィアのエンバーミング技術は当時有名であり、1910年、40歳の時、ニューヨークに招聘され、折衷医学院(Eclectic Medical College)で彼のエンバーミング法のデモンストレーションを行い、大成功を収めました。当時のアメリカにおける遺体保存には、ヒ素や水銀を用いた方法が採られていたため、サラフィアの新しい技術が注目を集めました。


Photo source: Eclectic Medical College, N.Y. “THE NEW YORK PUBLIC LIBRARY DIGITAL COLLECTIONS

 それから10年後の1920年12月、サラフィアはロザリアにエンバーミングを施すことになります。

  1920年12月6日に死亡したロザリアの遺体は、二日後の12月8日にカプチン・カタコンベに「一時的に」持ち込まれています。一次処理が行われたのは7日ということでしょうか。

 サラフィアがエンバーミングを施した遺体が、ロザリアのほかにも何体か確認されています。自分の父親にもエンバーミングを施していますが、ロザリアほどの良い結果は残していません。このことが重要であると、管理人は考えます。

 つまり、サラフィアのエンバーミング技術もさることながら、別の要因が加味され、ロザリアの保存状態につながったのではないか、と管理人は考えます。

 安置場所は、同じカタコンベの中です。違うとすると、それは、棺桶の構造。2008年7月、ナスジオがX線撮影をしたとき、最初の一枚には何も映りませんでした。棺桶に使われている鉛板のため、X線が透過しなかったのです。さらに、棺はガラス板がワックスで接着されており、内部の空気は密封状態です(といっても、完全密封ではなく、ナイフの刃が少し入る程度の隙間が部分的なあるようです)。このことも保存状態に影響を及ぼしているように思います。

ロザリアの遺体が目を開けた!

 ナスジオのテレビ番組によれば、ロザリアの遺体を納めた棺は、埋葬以来86年間、一度も開かれたことはありません(注:2007年放送時)。

 棺は内側に亜鉛板が使われているらしく、ナスジオチームがミイラのレントゲンを撮影するときに高出力にしなければなりませんでした。上のガラス板はお棺に接着され、密封されています。

 下の写真を見たとき、ダリオ君がガラスのフタを開けていると思ったのですが、実際は、補強用のガラス板を棺のガラスに重ねて設置しているところだそうです。後になって、棺を密封保護ケースに入れるときに、この保護ガラスは取り外され、オリジナルのガラス蓋だけが残されました。

 彼女の遺体のレントゲン写真は、カタコンベの中にレントゲン撮影装置を持ち込み、棺の外側から撮影しました。CTスキャナーで撮影したときは、さすがに棺を外部に持ち出したようですが、それでも棺は開かれることはありませんでした(カプチーノ教会カタコンベの入り口脇でCTスキャンが行われました)。

 ナスジオの番組放映以降、注目が集まったロザリアのミイラですが、ロザリアの遺体が目を開けたように見える写真が撮影されました。これは錯視なので・・、とは専門家の言葉。どこが錯視だよ!

 カタコンベを訪れた観光客から、ロザリアの目が開いたという噂が広がりました。そこで、タイムラプスカメラが設置され、12時間かけて撮影が行われました。その結果が下の写真です。

 確かにロザリアの目は、ゆっくりと開いたり閉じたりすることが確認されました。この現象は、カタコンベの中の湿度や気温など微気象の変化が影響していると考えられています。昼に目を開き、夜には閉じるそうです。

 二枚の画像からGIFアニメを作ってみました。ロザリアちゃんは、辺りが騒がしいので目を覚ましたようです。彼女の瞳の色は青。それが遺体に残っているというから驚きです。

 ロザリアちゃん、起こしてしまってごめんね。

ミイラの保全措置

 ロザリオの遺体の劣化、特に、顔の変色が顕著に見られるようになりました。

 どのように保全すべきか検討が行われました。当然、参考とすべき前例もないため、現在考えられる最良の方法が採られることとなりました。

 まず、遺体劣化の原因として、観光客の焚くフラッシュ、空気中の酸素、高い湿度が考えられました。ところで、この棺は一度も開かれたことがなく、密封されています。これを開くとどのような不測の事態が発生するかも知れません。

 そこで、まず、お棺の外側をホルマリンで消毒して細菌を除去した後、お棺ごと金属製の容器に入れ密封します。観光客用に開けた窓には、分厚い二重のガラスをはめ込み、紫外線をシャットアウトします。湿度をこれまでの80%から65%に下げ、さらに、金属容器の中を窒素ガスで満たします。

 Photo: National Geographic: 二重ガラスの作成

Rosalia's new coffin case  photo: https://goo.gl/images/juShzR

残された謎

 ロザリアの遺体をレントゲン(2008年7月)、CT(2010年12月)で撮影した結果、身体の中の臓器は全く取り除かれておらず、身長76cmの小さな身体に完全な形で残っていることが確認されました。

 このことから、蝋人形説は完全に否定されました。
  2007年9月、エンバーミングを施したアルフレード・サラフィアが書き残した処置の方法を記した手稿が発見されたことで、処置方法の謎も解明されました。

 全ての謎は解明されました。

 ところが、現実には、謎は深まるばかりなのです。

 サラフィアが書き残した処置の方法を見つけて、鬼の首でも取ったかのようにはしゃいでいた人たちも、ふと、あることに気づきます。彼が書き残した措置では、『全ての臓器』を残すことは到底不可能であることに気づいたのです。

 ロザリアの遺体には、脳が残っていました。多少萎縮はしているもののほぼ原形を保った状態で保存されていました。

 薬品処理をしようとしても、身体の内部の全ての箇所に薬品をゆき渡らすことは困難です。いや、不可能です。

 ロザリアの腹部は膨らんだ状態で、ほぼ全ての内蔵が残っており、膨らんでいるその中身は空洞でした。他のミイラの腹部がペッシャンコになっているのとは対照的です。通常は、腸内の微生物によって、死後、腐敗が急速に進行するのですが、その兆候は確認されず、子宮を含む臓器が確認できました。

 これまでの記述で、ナスジオの番組のナレーションにしたがい、埋葬以来、「お棺は一度も開かれていない」ということを何度も強調して書きました。でも、これが誤った情報だとしたら、どうでしょう?

 実は。1970年代に撮影されたロザリアのお棺と、現在のお棺とでは内装が違うのです!

 下の写真で、棺の内装の部分をよくご覧ください。

 1976年に撮影された下の写真と現在の写真を比較してみてください。7)

 1976年の写真には、豪華な内装が残っています。ところが、現代の写真には、この内装の部分が取り除かれている。動画を見れば分かりますが、本来あるべき遺体を包み込むようなふわふわの内装がありません。これは意図的に取り除いたとしか思えない。

 ということは、誰かがガラスのフタを外して、内装を取り除いた! きっと、内装が劣化して、遺体がよく見えなくなったために、取り除いたのではないでしょうか。さらに、ガラス板を交換したのではないでしょうか。封印されていたにしては、ガラスが綺麗すぎます。内側を磨いたか、ガラスごと交換したとしか思えません。

 また、二枚の写真を比べて分かるのは、ロザリアの胸に置かれた「イコンの金属プレート」の向きが違うこと。さらに、腰の辺りの衣服のシワの形も違います。やはり、ガラス蓋は開かれていたと考えられます。

 それが原因で、遺体の急激な劣化が始まった。管理人はこのように考えました。2007年にナスジオの調査が始まったときには、遺体の顕著な劣化が起きていました。この急激な劣化の原因を作った犯人は、観光客目当てのカタコンベ管理者たちではないでしょうか。

 棺の構造をもう少し詳しく見てみましょう。今度は、ガラス板に着目します。

 左端「写真A」は1976年に撮影されたもので、写真の左側に、蝶番につながったフタのようなものが見えます。「写真B」では、この蝶番につながったフタが棺の上に被さったように閉じられています。「写真C」では、蝶番が外され、フタが取り除かれています。しかし、厚めのガラス板が棺の上にあるのが見えます。

 この写真から、蝶番につながったフタは、ガラスのはまった額縁のようなフレームになっているのではないかと思います。つまり、ガラス板は、棺を封印するものと、フタに付けられたものの二枚ある。

 ダリオ氏が持っているガラス板は、上蓋のフレームにはまったガラス板ではないでしょうか。

おわりに

 やっと書き終えました。この記事は、簡単に書いてしまっても良いのですが、ロザリアへの追悼の意を込めて、少し深追いしてみました。いずれにしろ、悲しく切ない記事です。

 ホルマリンは、毒性があり、アメリカでは発がん物質とされています。中国では、「ホルマリン漬け豚肉が流通、重慶で「地下工場」など、普通に使われているようですが。

 ナスジオの番組を見ていていつも感じるのは、フィルムの編集者が精神を病んでいるのではないかということ。不必要なカット、無意味なクローズアップ、繰り返し映像の多用、細切れ間で視聴者をいらつかせる編集手法。とても正常な人間の仕事とは思えません。

 そして、一番困るのが、どこが再現シーンなのかが分からないこと。手稿の発見、レントゲン撮影、CTスキャンの時期がごちゃ混ぜになっているので、意味不明の場面がたくさん出てきます。こんな番組を作る会社を、”うさんくさい”と感じるのは管理人だけでしょうか。ナスジオのHPを見ても、上から目線の書き方になっている。何様のつもりだ! おかしな会社です。

 ロザリアの父親が亡くなったのは、1980年のこと。
 ロザリアの古い写真を探したのですが、見つかった最も古い写真が、上で掲載した1976年撮影のものです。写真撮影が許されたのは、ごく限られた場合だけだったようです。特に、父親の生存中の撮影は、ほとんど不可能だったのでしょう。

 カタコンベは、遺族たちがお金を寄付し続けることで、遺体は良い場所に置かれるのですが、寄付をやめると無縁仏扱いとなり、他のたくさんのミイラと共に棚に並べられるのだそうです。日本のお寺と同じです。

 ロザリアの両親は、死後も変わらぬ容姿を維持する愛娘の遺体をガラス越しに見て、何を思っていたのでしょうか。

 遺族たちは、ガラスのカバーを開けて、髪の毛を整えたり、洋服を着替えさせたりするのだとか。ロザリアの遺体はカチカチに固まっているので、立たせることができるらしいです。死後、数年間は、母親は毎日のようにカタコンベに通っていたのではないでしょうか。母親が亡くなるのは、ロザリアの死から46年後のこと。

 日本では、お墓に行くのは、お彼岸とお盆の時くらいです。ところが、ボリビアの墓地に行ったとき、毎週、墓参りすると聞いて驚きました。シチリアの人たちがどのような習慣を持っているのか気になるところです。

 『HODIE MIHI CRAS TIBI』

 この意味を知りたい方は、猫サイトの過去記事『スクレの歩き方:共同墓地』をご覧ください。

 少し長い記事になりました。最後までお読みいただきありがとうございます。本稿のような視点でロザリアのことを書いているサイトは世界中見てもありません。

出典

1. “Rosalia Lombardo: The Child Mummy
2. “The true story of Rosalia Lombardo
3. “NATIONAL GEOGRAPHIC NEWS, Lost “Sleeping Beauty” Mummy Formula Found
4. “NATIONAL GEOGRAPHIC News“, 2012.02.21
5. “Multidetector CT investigation of the mummy of Rosalia Lombardo (1918–1920)”, Stephanie Panzera, Heather Gill-Frerking, Wilfried Rosendahl, Albert R. Zinkd, Dario Piombino-Mascalid, Annals of Anatomy 195 (2013) pp.401– 408,2013
 手稿の発見、レントゲンやCTの撮影時期はこの論文に依った。ロザリアのエンバーミングで、血液の排出が行われなかったことや、薬剤の注入には、頸動脈や腋窩動脈ではなく、大腿動脈が使われたこと、へそからカニューレを挿入したこと、カタコンベ内の他のミイラでは水銀などの原子番号の高い重金属を含む溶液が注入されたこと、など、興味深い論文になっている。
膵臓が高品質の保存状態にあることから、ロザリアの死後すぐにエンバーミングが施されたと考えられる。手稿に依れば、24時間以内の処置を目指したとある。
6. “Una mummia per amica” ,Tiziana Lanza, 2012
7. ”ON ROSALlA LOMBARDO’S CAUSES OF DEATH AND THE METHOD USED BY ALFREDO SALAFIA TO EMBALM HER“, T. Lanza, Journal of Paleopathology Vol 22, No 1-3, 2010:死因をジフテリアと記載。棺の大きさが埋葬時と違うのではないかと指摘
8. N.Y.におけるデモンストレーションについては、以下の書籍に詳しい。
“Modern Mummies: The Preservation of the Human Body in the Twentieth Century”, Christine Quigley, 2006