葛飾北斎の肖像

ミステリー

 江戸時代後期の浮世絵師、葛飾北斎。

 江戸時代の絵師の中でも異彩を放つ存在です。

 下の画像は、北斎が80歳頃に描いたとされる自画像です。背景は川越・喜多院にしました。

 そのうち、北斎の謎を追う! という記事を書きたいと思いますが、皆さんと同じ記事を書いてもつまらないので、全く別の切り口から迫りたいと思います。

 北斎について研究している方が本当にたくさんいるので、書くことがない、と思ったのですが、まだまだ分かっていないことも数多くあるようです。

 北斎は88歳まで長生きしました。彼はむちゃくちゃな生活をしていたのになぜ長生きできたのか? 現代人にとってもヒントになりそうな気がします。

 そのヒントとなるのが、貝原益軒により書かれた『養生訓』(1712年)ではないかと管理人は考えています。『養生訓』は北斎が生まれる48年ほど前に書かれた書物ですが、現代まで読み継がれているロングセラーの健康指南書です。素食の北斎が好んで食べた『くわい』についても『養生訓』には書かれています。

 北斎は、1827年(文政10年)、68歳の頃中風を患いますが、自分で治したそうです。でも、どうやって?

 多くの人が50歳を待たずに死んでいった江戸時代後期、通常であれば、北斎は69歳以前に亡くなっていた筈です。すると、『富嶽三十六景(1831)』も世に出ることはなかった。北斎が長生きしたからこそ膨大な数の作品を描くことができました。

 北斎の最大の謎とは、結局、かれがなぜ長生きできたのか、にあるように思えます。そして、ただ長生きしたのではなく、生涯現役の絵師でした。

 今日は”前振り”ということでここまで。