絶世の美女エリザベート (オーストリア皇后)の写真を・・・作る

エリザベート Sissi

 絶世の美女エリザベート。そう言われても実際にはどうだったのだろう?

 絶世の美女だったと言われれば言われるほど気になります。

 エリザベートの写真は何枚かありますが、どれも画質が悪い。

 解像度の悪い写真をいくらきれいにしようと思ってもおのずと限界があります。

 そこで発想の転換。もう、写真の加工をして解像度をよくするのはやめにして、写真を最初から作ります。

 今回、幅5000pxで作ってみました。高解像度なので見応えがあります。なかなか美人にできました。アップするのは残念ながら低画質版のみとします。下の画像をクリックすると大きく表示できますが、元画像が低解像度なので、それなりのものです。

 この写真は、全身画像で作っています。この全身バージョンも超低画質のもをアップします。

 ついでに、こんなものも作ってみました。これも低画質版のみアップします。

 なぜ、低解像度のものだけアップするのか。

 それは、出来がいまいち気に入らないから。画質は良いのですが、エリザベートの魅力が十分には出ていないような気がします。もっと美人なはず、という気がします。

 自分も美人であることを十分に知っていたエリザベートですが、コンプレックスがあったそうです。それは、丸太のように太い腕と大きな鼻穴。

 前回、エリザベートの写真を加工していて、腕が太いことに直ぐ気づきました。しかし、鼻の穴までは分からなかった。外人は鼻が高い分、皆さん鼻の穴も大きいです。

 容姿端麗なエリザベートでさえコンプレックスを持っていたことに驚きます。

 1873年6月8日、岩倉使節団は、オーストリア=ハンガリー皇帝フランツ・ヨーゼフ1世と皇后エリザベートに謁見しています。その時の写真があると良いのですが、無いようです。無ければ作る・・・。

 岩倉使節団がウィーンを訪れたとき、ウィーン万国博覧会が開催されていました。1873年5月1日から10月31日までの開催です。日本政府が初めて公式参加し、日本館が建設されました。

 エリザベートと日本のパビリオンの逸話が残されています。

 『日本のパビリオンは屋内展示だけではなく,屋外にも神社と庭園を備えた展示スペースが用意された。しかし,この神社と庭園が完成しないうちに博覧会がはじまってしまったため,会期中もしばらく工事が続けられた。そのおかげで,はるばる海をわたった日本の職人達の工事姿や道具などは来場者の注目のまととなったという。特に,木を削る際に使う鉋(かんな)の刃の向きがヨーロッパのそれとは異なり,偶然通りがかったエリザベート王妃がその削りクズを大事に持ち帰ったとのエピソードが残されている。 』

ウィーン万国博覧会日本パビリオン

(「ウィーン万博日本パビリオン」)

 こういう記述を読むと、エリザベートをより身近に感じることができます。そして、岩倉使節団も。

 このような、ちょっとした逸話は、その人物を身近なものにしてくれます。しかし、その使い方しだいで、読者をミスリードするという危険性もはらんでいます。一つの逸話からすべてを説明しようとする人の文章は要注意です。

 エリザベートの写真については、もう少し時間をかけて、さらにきれいなバージョンをそのうち公開します。