海賊の財宝伝説に迫る(5):ベネット・グラハム船長とデボンシャー号の宝

ココ島の財宝伝説

 ココ島にまつわる海賊が隠した財宝について、次に紹介するのが「海賊ベネット・グラハム船長」が隠したとされる「デボンシャー号の財宝(The Devonshire treasure)」です。

 この伝説は1818年から始まります。トンプソン船長の「リマの財宝」より2年ほど前のことです。

プロローグ

 1818年、ベネット・グラハム船長(Bennett Graham)は、ネルソン提督の指揮の下で1805年10月のトラファルガーの海戦に参加し殊勲を立てた英国海軍士官で、ホーン岬とパナマとの間の海岸の調査をするために英国巡洋戦艦「デボンシャー号」(HMS Devonshire)を率て、南太平洋に派遣されました。

 ところが、グラハム船長と彼のクルーは、調査を行う代わりに海賊行為を始めます。そして、それは大成功を収めます。やがて、彼らの海賊行為について英国政府が批判されることになったことから、英国政府はグラハム船長と彼のクルーを捕らえるために軍艦を派遣します。

 しかし、この戦艦は彼らによって打ち負かされてしまいます。生き残った軍艦の士官と乗組員たちは、海賊の仲間になるか、それとも船縁から突き出た”渡し板”の上を歩くか選択を迫られます。もちろん、彼らは海賊になることを選びました。

 デヴォンシャー号は戦闘でひどい損傷を被り、グラハムは人数が増えた乗組員を移動させ、船の装備を拿捕したスペイン船に積み替えました。

 英国政府は、彼らを捕らえるため、新たに三隻の軍艦をカーニョ島近くの「ゴロ・ドゥルセ」に派遣します。ここでの戦闘で、グラハムの船は沈みました。

 彼らはボートで逃げようとしましたが全員捕らえられ、イギリスに連れて行かれました。グラハム船長と彼の士官たちは処刑されました、そして残りのクルーはタスマニアの流刑地に送られました。

メアリー・ウエルチ

 この終身刑を受けたクルーの中に一人の若い女性がいました。彼女は、グラハム船長の冒険に同行していました。彼女の名前はメアリー・ウエルチ(Mary Welch)。コーヒー・プランテーション農場主の娘でした。グラハム船長と恋に落ち、海賊と共に暮らしていたようです。二人のロマンスをLisaGraceという作家が”True Treasure: Real – Life History Mystery”という小説で発表しています。

 メアリーはタスマニアで20年間過ごした後に、釈放され自由の身となり、すぐに結婚します。

 その後、メアリーは年を重ね相当な老婦人になったとき、彼女は、埋められた宝物を掘り出そうと考えるようになります。しかし、自分ひとりではとてもできるようなことではありません。そこで、誰かに埋められた財宝の発掘に関心を持ってもらい、出資者になってもらおうと1853年、サンフランシスコに行きました。一時期、彼女は、海賊ベニート・ボニートの愛人だったと言っていましたが、その真意は不明です。いずれにしても、グラハム船長、ベニート・ボニート船長、トンプソン船長の三人の海賊船船長は、1821年頃にココ島を根城にしていた海賊たちであり、仲間でもありました。(グラハム船長とベニート・ボニート船長が同一人物であると考える人たちはかなりいるようです。)

 伝承によれば、「デヴォンシャー号」がメキシコのアカプルコに向け北上していたとき、グラハム船長は3隻の軍艦に護られ航行する財宝を積んだ2隻のスペインのガレオン船を発見します。勝算にかかわらず、グラハム船長は、躊躇なく攻撃を開始し、5隻の船全てを打ち負かし、財宝の掠奪に成功します。

 グラハム船長は、その後、ココ島に向け航海し、ウエハー湾の山の断崖に面した狭い渓谷に、四角いシャフトを沈めました。そして、そのシャフトの底からトンネルを掘り始め、洞窟まで10メートル(35フィート)の距離を掘り進めました。
 掠奪したスペインの巨額の財宝は、この洞窟に移され隠されました。このシャフトはいつでも財宝を取り出せるように、固定されました。

 それからしばらくして、グラハム船長は次の獲物を探しに、略奪の航海に出発しました。そして、この時、傷から回復しなかった14人の水夫、船の外科医とメアリー・ウェルチが島に残されました。

 6ヵ月が経過し、グラハム船長がココ島に戻る前に、宝物を積んだスペイン船を見つけ、これを押収して島に持ち帰ろうとしました。

 しかし、この時期、グラハム船長の悪行を英国海軍本部は耳にしており、海賊に変節した英国の海軍士官と彼のクルーらを捕らえるため2隻のフリゲート艦を太平洋に派遣しました。そして、デボンシャー号はフリゲート艦に発見されてしまいます。グラハム船長は、逃げることはできないと覚悟を決めます。

 グラハム船長は、宝の洞窟のありかを示す地図を作り、それを常に身につけていました。彼は、自分の逮捕が間近に迫ったとき、メアリーにその地図を渡しました。それは、自分よりも彼女の方が責任追及の尋問から逃れられるチャンスが大きい、と考えたからでした。

 彼女は、長い年月、この地図を護り続けました。後年、財宝を回収する時に使うためです。
 メアリーは裕福な出資者を見つけ、財宝探しの航海に出て、再びココ島に上陸します。しかし、彼女の努力は不首尾に終わりました。

 6ヶ月間をココ島で過ごした彼女でさえ財宝の隠し場所を見つけることができなかったのです。その理由は、財宝を隠した洞窟があるウエハー湾の外観が年月の経過とともに大きく変化していたからでした。
 彼女が目印の1つにしていたものは巨大な杉の木でした。そして、彼らはココ島に滞在していたときに、しばしばその近くでキャンプをしていました。そこは、グラハム船長の船が航海に行っている間、彼女と船医、そして、治療中の14人のクルーたちと滞在していた場所でした。

 ところが、この杉の木だけではなく、近くの樹木は全て伐採され、跡形もありません。すべての目印が消え失せていたのです。これは、水と燃料の補給基地としてココ島に立ち寄っていた捕鯨船により伐採されたものでした。

 財宝は発見されませんでしたが、この女性の話は、探検の資金を出した人々に信用されていました。それというのも、財宝を隠した洞穴の掘削に関連して、メアリーは、とても詳しく説明することができ、その内容が現地の状況ととても良く符合していたからです。

 ココ島についての彼女の深い知識、たとえば、生えている植物、動物の生態、特に鳥の生態は、そこにかなりの期間居住した者以外には絶対知ることができない内容でした。

 さらに、財宝の洞窟の掘削に関連して、メアリーはとても珍しい土壌条件を説明していましたが、その後の遠征で、地図に示された場所を実際に掘削してみると、メアリーが説明した通りの土壌でした。このようなことから、彼女の話が虚構ではないと信じられるようになります。

 地図は英国当局の探索の手を逃れました。しかし、英国政府は、宝の洞窟の場所についてのいくつかの情報を他のクルーから入手していたに違いありません。事実、海賊ベネット・グラハム船長によってココ島に隠された盗品を探す最初の発掘調査は、英国海軍の手によって行われました。

 グラハム船長は、彼が海賊をしていたすべての期間、ココ島を基地として使っていました。そして、そこには未だに、ガレオン船から略奪した積荷が埋められているのです。

 「デボンシャー号の財宝」は、ローア・カリフォルニア、メキシコ、そしてペルーからの金塊350トン、その現在価値は控えめに見積もっても1.6億ドル相当と見積もられています。

この伝説は真実なのか?

 グラハム船長の伝説は、どうも脚色されているようです。そもそも、グラハム船長という人物の存在が英国の海軍士官名簿で確認できないらしい。不名誉なので抹消したということも考えられますが、果たして実在の人物だったかどうかは疑わしい。さらに、「デボンシャー号」は太平洋に行っていないとか、当時のこの船の船長名が違うとか、いろいろ明らかになっているようです。いや、明らかになっているのか、闇が広がっているのか定かではないのですが、もっともらしい伝承だけに、あら探しをするとかなりボロボロの伝承のようです。
 
 世の中には、一つの誤りを見つけただけで、すべてが間違っていると思い込む人がいます。ご本人は、間違いを見つけたのだから「論破」したと考えるようです。

 「公式記録に名前がないからその人物は架空の人物である。」

 このように言い切るためには、もっともっと多くのことを調べる必要があります。資料を孫引きするのではなく、自分で丹念に調べ直す必要があるでしょう。でも、それはたぶん無理でしょう。日本で調べることができる範囲は限定されています。できるとすれば、「公式記録を調べた」と書いた人物が信頼できる人物かを調べることでしょう。でも、これも難しい。誰が調べたのかが「記録にない」(笑)。記録がないのに結論だけが一人歩きしている、という事例が散見されます。

 海賊の財宝は、存在しないという前提で話を進めてもつまらない。やはり、「財宝伝説は真実」という仮説の下で推理していく方が楽しいですし、いろいろ勉強になります。

 ココ島に隠された財宝を探しに、これまでに300を超えるトレジャーハンターチームがこの島を訪れました。 絶海の孤島で宝探しをするためには多額の資金が必要になります。彼らは多額の資金を投じて、存在しない海賊の宝物を必死に探していたということでしょうか。

 トレジャーハンターたちは、自分たちだけが見つけた「暗号」を他人に教えるということはないでしょう。同様に、海賊の財宝にまつわる伝承をそのまま鵜呑みにすることはできない、ということも冷静に考えれば分かることです。本当のことは誰にも教えない。教えるはずがありません。
 
 

True Treasure: Real – Life History Mystery (English Edition) –

【Reference】
“Cocos Island – Old Pirates’ Haven”, Christopher Weston Knight, 1990, Costa Rica
Legends and Lore of Cocos Island” by Peter Tyson