寺尾正・文姉妹は美しすぎるスプリンター

すてきな写真

先日録画したビデオを見ていたら、「英雄たちの選択 『目指せ!“なでしこ”たちの祭典~人見絹枝の決断~』」が録画されていました。

 あまり関心がなかったので見ずに消そうかと思ったのですが、せっかくなので飛ばし見することに。
 司会の磯田道史さんの話の部分と記録映像の部分だけを見ます。すると半分くらいの時間で視聴できます。

 磯田さんのバランスの良いわかりやすい解説が好きなので、彼の話の部分は聞くことにしています。
 磯田さんって何歳なのだろうと調べてみたら1970年12月24日生まれで今年46歳になるようです。

 誕生日を見て「ん?」と思いました。このサイトでたびたび採り上げるオーストリア皇妃エリザベートと同じ日ですね。彼女は1837年12月24日に生まれています。

 前置きが長くなりましたが、番組は人見絹枝にスポットをあてたもので、良くまとめられ、見応えがありました。
 番組の中で、寺尾正(きみ)と寺尾文(ふみ)という双子の姉妹についてのシーンがありました。

 姉の正は50m、妹の文は100mの元日本記録保持者です。こう聞くとそんな人周囲にいるよと思ってしまいますが、彼女たちの実力は世界レベルで、妹の文は100mの世界新記録を出したほどのスプリンターでした。

 彼女たちが生まれたのは、明治44年(1911年)11月7日のこと。1924年、13歳になった姉妹は陸上の競技会に出場するようになり、1927年までの3年間、好成績を残します。美人の双子の姉妹であったことから、世間の注目を浴びたようです。

 ところが、1928年、彼女たちの選手生命は、講談社により絶たれ、夢が潰されてしまいます。
 当時、講談社が発行していた「婦人倶楽部」という雑誌に、彼女たちをモデルにした久米正雄の愛欲小説『双鏡』が発表されます。これに驚いた彼女たちの両親は、娘に競技の継続を断念させ、姉妹はわずか16歳で引退することになります。

 当時の講談社の社主は、創業者の野間清治。Wikipediaを見ると、「ビジネスにおける倫理の大切さを主張。ビジネスに奔走した自らの経験を踏まえ、「成功への近道とは道徳的な道に他ならない」とし、「修養」(精神をみがき人格を高めること)を積むことの大切さを説いた。」とあります。これって何かのジョークでしょうか。

 小説家の久米正雄は夏目漱石の門弟だったようですが、漱石の長女筆子に振られ、その後、通俗小説をたくさん発表したようです。そのひとつが『双鏡』。モデルにされ、好奇の目にさらされる16歳の子供のことを深く考えもせずに書く自己中の小説家のようです。

 わずか16歳で引退を余儀なくされた姉妹のその後ですが、正は20歳で前田家に嫁ぎ、文は18歳で有賀家に嫁いでいます。

寺尾正・文姉妹

 壇蜜さんをさらに上品にしたような美人の姉妹ですね。

 こんな美人の双子の娘を持った親の気持ちって複雑なのでしょうね。うちには娘がいないので分かりませんが、もしいたとしたら、いつも娘の心配ばかりしていて早死にしそうです(笑)。

寺尾正・文 姉妹
Source: Wikipedia画像を髙解像度化

 もし、寺尾姉妹が引退していなければ、人見絹枝が24歳の若さで亡くなることもなかったのかも知れません。そして、寺尾姉妹には、海外で活躍する双子の美人スプリンターとして全く別の人生が待っていたようにも思えます。

 この姉妹のことは今回初めて知ったのですが、NHKではこれまでに何度も採り上げているようです。

 最後に、妹の文さんが亡くなったのは1997年12月24日です。
 お気づきですか。冒頭の書き出し部分につながりますね。