和宮に麻布のお屋敷を売った南部麻子のお墓

皇女和宮の謎

 明治維新に和宮が住んでいた麻布のお屋敷。

 1874年(明治7年)7月8日、和宮は京都から東京に戻り、用意されていた麻布市兵衛町の御邸に居を定めることとなります。
 
 そこは、八戸南部藩の上屋敷があった場所です。この土地を和宮に売却したのが、南部栄信、麻子夫妻。

 このことについては過去記事『皇女和宮が晩年に住んでいた邸宅の場所は、現在ではどこになるの?』に詳しく書いているので、省略します。
 今日は、この南部栄信、麻子夫妻のお墓を見つけたというお話しです。
 麻子のお墓は、八戸市の八戸南部家墓所にあると思っていました。ネットでも確認していたので。でも、まさか東京で見つかるとは・・・。ビックリしました。
 実は、とあるお墓を探して、お墓巡りをしているのですが、そこでたまたま見つけたのが南部家の墓。最初は、南部という苗字の方のお墓なのだろうと思っていたのですが、墓誌を見てびっくり。南部栄信、麻子と書かれています。

 地面に白く見えるのは桜の花びらです。

 八戸藩のお墓は、東京では東京タワーの足下にある金地院が有名です。でも、今回見つけたお墓の場所は、なんと『青山霊園』です。

 それも、外人墓地の並びの道路に面した一等地。墓誌をみると、平成元年に章子さんという方が最後に埋葬されています。

 しかし、不思議です。八戸から墓地を移したのでしょうか。

 とにかく、一度、お墓参りをしたいと思っていたので、念願が叶いました。

 墓誌から分かったことは、南部麻子が亡くなったのは、大正2年12月22日だったということ。Wikipedia『南部麻子』では、12月12日としているので、間違いですね。

 ちなみに、夫の栄信は、 明治9年(1876年)3月26日に19歳で亡くなっています。これはWikipediaの記述と一致します。