世界文化遺産 富岡製糸場に行ったけど、なんでこんなに高い入場料なのか

国内旅行

 おととい、群馬県にある世界文化遺産『富岡製糸場』に行ってきました。

 富岡製糸場は1872年(明治4年)に設立された官営の模範工場で、器械製糸工場としては、当時世界最大級の規模を持っていたそうです。


 東置繭所 Ⓒ なんでも保管庫、広角レンズでもこの写真は撮影できないため、9枚の写真を合成しました。

 富岡製糸場の建設工事に着工したのが1871年(明治4年)3月で、主要部分が竣工したのが1872年(明治5年)7月でした。

 明治4年といえば、廃藩置県が断行された年で、その年の12月23日(西暦)に横浜港から岩倉使節団が世界一周の旅に出発しています。こんな慌ただしい明治維新にこのような大工場が建設されたのですから驚きです。

 工場は、フランスの技術を導入して建設されたもので、工場の建設、機械の導入から管理運営、技術指導に至る多くの分野でお雇い外国人が招かれました。

 当時、このような大工場を日本独自の資金で建設しようなどいう発想を持つことができる人材は渋沢栄一くらいだったのではないでしょうか。建設計画の過程で大隈重信や伊藤博文の名前もあがりますが、彼らは2、3年前まで田舎侍だったわけで、経済に精通していたわけではありません。伊藤は明治3年11月(1870年12月)から半年間アメリカ出張しており、帰国したその年の年末11月(1871年12月)から副使として岩倉使節団に同行し、世界一周の旅から帰国したのは1873年9月13日のこと。


 富岡製糸場配置図

なぜこんなに高額な入場料なのか

 富岡製糸場の入場料は、大人 1000円、高校・大学生 250円、小・中学生 150円で、富岡市民は入場無料です。

 この入場料について、ネット上で『高い』という書き込みがたくさんあるようですが、管理人も高いと思います。

 そもそも、この入場料は、高岡市が世界遺産商法によって観光客からお金をむしり取ろうという意図が丸見えの設定になっています。

 2015年4月2日、それまで大人の見学料が500円だったものが、2倍の1000円に値上げされました。さらに、これまで無料だった観光ガイド料も同日から200円になりました。

 高岡市は値上げの理由として、2014年の豪雪で半壊した建物の復旧工事など保全や整備費用が、今後30年間で約100億円かかると見込まれていること。そして、同製糸場では「これまで市の税金で賄っていたが、世界遺産となり、多くの観光客が訪れる製糸場の保全や修理には今後、多額の費用が予想される。値上げや有料化で保全に万全を期したい」と話しているそうです。1)

 ユネスコへ世界遺産推薦書が提出されたのが2012年1月のこと。そして、2014年6月に世界文化遺産に登録され、同年12月に国宝に指定されました。

 2013年までは年間20~30万人程度だった来場者数は、2014年に世界遺産に登録されたことで一気に急増し、133万人を記録しました。2015年は114万人、2016年は80万人です。

 来場者の年齢を見ると、7割以上は大人料金を支払っている人たちです。すると、2014年から2016年の3年間だけで、大人の入場者数は230万人で、入場料収入は23億円になります。これに学生の入場料が加わります。

 今後30年間で約100億円かかるという理由で値上げしたのなら、今後、10年で100億円の収入が見込めるので値下げします、ということもありではないでしょうか。

 収入が上がれば、ジャンジャンお金を使いたくなるもの。無駄な工事も増えるでしょう。

 管理人は、大人の入場者に負担を強いる現在の料金体系には疑問を感じますし、1000円は高いと思います。たぶん、リピーターはほとんどいないでしょう。700円くらいが妥当なところではないでしょうか。なお、ガイドの有料化はその地域の考え方なので有料でも良いのかも知れません。

 この世界遺産登録によって、富岡市全体の経済が活性化しているのは間違いないことでしょう。料金設定はほどほどにしないと、観光客からそっぽを向かれることになります。

 富岡市は、世界遺産登録で経済活性化したことで税収が増加したのだから、維持補修にはその増収分を充てることにし、これまで取っていた入場料は無料にします、というのが本来の姿のような気がします。

中は見所満載

 管理人は、カイコが大好きなので、富岡製糸場内部は楽しめました。このような施設を現在まで保存してきた関係者の尽力には頭が下がります。145年も前の建物が残っているのですから、驚くばかりです。

 こんな太い木材は、現在入手が困難なのではないでしょうか。

 繭の糸の端はどうやって見つけるのか不思議だったのですが、繭を茹でると糸の端がほどけてきて、藁を束ねた筆のようなものでそれを引っかけて探すようです。

 寄宿舎の写真です。昔の小学校の校舎みたいで懐かしい。

 外には、カワイイお富さん人形が立っていました。せっかくなので、キラキラ加工しました。

 富岡製糸場については、Wikipedia『富岡製糸場』がとても良くまとめられています。この項を書かれた方はかなりの専門家なのでしょう。

 最後に、今回、教科書でしか知らなかった富岡製糸場をじかに見ることができました。建物の保存状態もよく、規模も大きい。敷地面積も含め、この状態を現代まで維持できたのには本当に感動しました。

 外国人観光客をまったく見かけなかったので、外国人の視点で観た富岡製糸場の魅力をアピールする工夫が必要かも知れません。毎年、訪問者数が減ってきているし。

 ここで作られた生糸がヨーロッパやアメリカに渡り、それを当時の誰が身につけていたのか・・というような欧米人が喜びそうな視点がないですね。つまり、生糸を作る側の視点のみの展示なので、外国人から見たらインパクトに欠けるかも。フランス・リヨンとのつながりをもっと強調して、その先にあるエンドユーザーについても紹介があると、より身近に感じるのでは。

  明治6年(1873年)6月ウィーンで開かれた万国博覧会に富岡製糸場で製出した生糸が第二等賞に入り、富岡シルクの名を高めたことは案内板で紹介されていますが、こういうのはステレオタイプの典型といいます。岩倉使節団は、滞在先のウィーンでこの博覧会を見学しているし、絶世の美女として名高いオーストリア皇后エリザベートも訪れています。

 アメリカ方面では、広中和歌子訳の「絹と武士」の原本”AMURAI and SILK”が面白そうです。収録写真の少ない訳本ではなく、原本を読む必要があるようです。管理人は読みませんが。

 生糸・絹織物の輸出額は日本の全輸出額の57~30%を占める、まさに明治日本を支えた主要な輸出品でした。当初は全量生糸の輸出であったものが、次第に絹織物の比率が増加していきます。椎野正兵衛あたりを調べてみると面白そうです。

 富岡製糸場で初期の頃に作られたシルクは、現在、世界のどこに残っているのでしょうか。ボストンにあるのは間違いないでしょうが、その他には?

出典:
1. 産経ニュース「富岡製糸場の見学料500円→1000円に値上げ 観光ガイドも有料化 「保全に万全期す
2. 「世界遺産富岡製糸場