不思議の国『日本』は文字も不思議すぎる

古代の謎・歴史ヒストリー

 この記事は、実は『邪馬台国の謎に迫る』という記事の一部として書き始めたのですが、都合により独立した記事としてアップします。もともとは、魏志倭人伝をどのように読むのが正しいのか、あるいは、現代日本語で読んでいない? という疑問から調べたものの一部です。

日本語には「正書法」がない

 この項は、『正書法のない日本語』、今野真二、岩波書店、2013 に基づいて記載しています。

 日本語には「正書法」がないのだという。「正書法」とは文字通り「正しい書き方」のこと。何が正しいのか、その対象は「文章」。まずは語を単位とした正しい書き方が「正書法」ということを押さえておく必要があります。

 「正しい書き方」があれば、その反対の「誤った書き方」があります。英語では、「haze」(霞)という語は、これ以外の書き方は許されない。これ以外の書き方は誤りということになります。

 ところが、日本語ではどうでしょう。「霞」と漢字で書いても「かすみ」と平仮名で書いても「カスミ」とカタカナで書いても通じるし、どれも誤りではない。さらに「kasumi」とローマ字で書くことさえ可能です。

 このように、日本語では一つの単語を4種類の文字で書き表すことが可能で、通常は、それが間違っているとは言えません。ただし、「霞」は「霞」以外の連想はないでしょうが、「かすみ」という文字を見ると「有村架純」を連想する人もいるでしょう。

 「通常は」の意味は、そうではない世界があるからです。たとえば、論文は、その学会の認める表記方法しか許されない場合がほとんどです。勝手にひらがなやカタカナを使うことはできません。専門用語に使える漢字も決まっていますし、それを仮名で書くことはできません。執筆規定が定められており、それに則った書き方以外は誤りとされ校正を求められるか、論文として認められないこともあります。

 「カスミ」は『万葉集』にも使われている語です。万葉集では、現在と同様に「霞」と一字で書く場合と、「可須美」と万葉仮名を用いる場合の両方があります。

 日本語に正書法がないのは、使う文字の種類が(通常は)制限されていないのが一つの理由です。「多くの人はこう書く」という文字はありますが、ぜったいにそう書かなければ誤りというわけではありません。

 「多くの人はこう書く」を「標準的表記」とするならば、その存在は幻ということになります。「標準的表記」など存在しないのです。

 たとえば、(時間経過に焦点を当てるとすると)戦前に書かれた文章を読むと、理解できない部分が多々あります。明治時代はもっと分からない。さらに、江戸時代の文章などちんぷんかんぷん。本当に日本語で書かれているのかと思えるほど読めない。

 そもそも「仮名」が読めない! 時代が古くなるほど読めないかというとそうでもない。奈良時代の木簡などは比較的読みやすいのも事実です。

 これは、1900年(明治33年)の小学校令施行規則で採り上げられた平仮名以外の異体を「変体仮名」とし、学校教育から除外することになったのが原因です。それまでは、平仮名の母胎となった万葉仮名に数種類の表記方法があったことから、さまざまな仮名が使われていましたが、明治の教育改革で統一されたことから、変体仮名は次第に使われなくなりました。

 さらに、昭和21年(1946年)には表音式を基本とした『現代かなづかい』が公布され、現代の発音を反映した仮名遣いが採用されました。これにより、「ゐ」「ヰ」などの仮名が教科書から消えました。

 このような分野における最近の子どもたちのコンプレックスは、「いろは・・・」を言えない、「ゐ」「ヰ」をどう使うか分からない、ついでに言えば、英文の筆記体が読めないし、書けない。

 このような状況をすぐに学校教育に結びつけたがる人たちがいますが、それはとんだお門違いでしょう。

 必要な人だけが自分で勉強すれば良いだけのこと。何でもかんでも学校教育に結びつけたがるのはどうかと思います。覚える必要のある事柄が年々増加している現代の子どもたちの負担を軽くしてあげることが重要でしょう。

 放送大学イメージソング、『人間の贅沢、ひとつ』は小椋佳が作詩・作曲したものですが、この歌詞に次のようなフレーズがあります。管理人の好きなフレーズです。

『思えば 学びは 人間が 味わえる それ自体 贅沢のひとつ
望めば 学びは 誰でもが 手に出来る 最高の 贅沢のひとつ』小椋佳 作詞『人間の贅沢、ひとつ』

 「変体仮名」は数が多く、全てを覚えるのは難しいのですが、よく使われる変体仮名を20個程度覚えるだけで、明治時代の新聞を難なく読むことができます。

「ら抜き言葉」と「ら付き言葉」

 最近テレビを見ていて気になるのが「ら付き言葉」のテロップ。「ら抜き言葉」への警鐘のつもりで流しているのでしょうが、普通の日本人は使わないような「ら抜付き言葉」がテロップで流れているのを見ると疑問に感じます。

 街頭インタビューされた人が使わない言葉。この人の言葉は日本語として間違っていますよと「ら付き言葉」のテロップが流れているのですが、違和感を感じる場面もしばしば。

 本当に「ら付き言葉」って正しいの? 「書き言葉」と「話し言葉」の混同ではないの? と思ってしまう。

 この典型的なのが「食べられる→食べれる」でしょう。

 可能の助動詞「られる」の「ら」が抜けていると取られることから、インタビューに答える人が「ニンジンは食べれない」と言うと、テロップで「食べられない」と流れる。

 でも、

 「ニンジンは食べれない」
 「ニンジンは食べられない」

 この両者は、本当に同じことを言っているのでしょうか。

 管理人には、この二つは言おうとするニュアンスが異なっているように感じます。

 ここで、「ニンジン」だろう!という突っ込みはやめましょう。日常会話では「ニンジンは」と目的語を主語のように言うことはザラにあります。

 前者は、『自分は食べることはできない』と言っていると感じます。そして、後者は『自分は』の部分が少し薄まっているように感じます。どちらかと言えば、一般論として言っている。

 わかりにくいので、「ニンジン ⇒ ウンコ」で見てみましょう。

 「ウンコは食べれない」
 「ウンコは食べられない」

 前者は、「自分はウンコを食べることなんて無理!」と言っているように感じます。そして後者は、「一般論としてウンコを食べることはできないよ。食べ物じゃないよ」と言っているように感じるのではないでしょうか。少なくとも「ウンコは食べれない」は、「一般の人は」ではなく、「自分は」と言っているように感じます。「あんたなら食べるかも知れないけど」というニュアンスを含んだ表現かも。

 言語学的にこの解釈が正しいかどうかよりも、常に「揺らいでいる」日本語を使う現代人の感覚が、「ら抜き言葉」のニュアンスをこのように感じているとするならば、現代日本語の文法解釈の方を修正すべきなのかも知れません。

 もし、「ら抜き」と「ら付き」で意味に違いがあるとするのであれば、日本語はより繊細な表現が可能な言語に進化しているとも考えられます。もし、そうであれば、「ら抜き言葉」を批判するのは間違っていることになります。

 ちなみに、「ら抜き言葉」は「上一段活用」と「下一段活用」の動詞と「来る」の可能表現だけに表れる現象なのだそうで、外国人が日本語を勉強するときに苦労する例外的な言い方なのだそうです。日本人はそんなこと夢にも思いませんが。

 日本人が「文法」を習うのは、「国語学習」の時ではなく、「英語学習」の時です。日本人は、文法が大嫌い。教員も文法が大嫌い。だから、日本人が英語を苦手とするという説もあるようです。

 義務教育課程で「日本語文法」について習った記憶がありません。国語の授業で習ったと思うのですが、全く記憶にありません。英語を勉強する過程で、文法は意識しますが、日本語の文法など、誰も気にしません。そんなものを知らなくても誰も困りません。

 管理人が英語学習で覚えた”日本語”が「範疇」という言葉でした。通常はカテゴリーという方が一般的なので、英語学習を通じて覚えた奇妙な日本語「範疇」として記憶に残っています。

表記方法の柔軟性

 数の数え方に「ひとつ、ふたつ、みっつ・・・」があります。これを「一つ、二つ、三つ・・・」と書くことができ、むしろこの方が一般的でしょう。

 この場合の漢字は、[一(ひと)、二(ふた)、三(みっ)]と読んでいます。

 では、「1つ、2つ、3つ・・」。これを読めますか?

 そう、誰でも読めますね。でも、おかしなことに気づきませんか? 本来、数を表す機能しかないローマ数字をまるで漢数字のように読んでいます。

 後者の表記方法は誤りとされ、論文等では使われませんが、表記基準のゆるい学会では気にせず使っているようです。それが良い悪いということではなく、表記方法は時とともに変化しているということ。

 数十年前に書かれた言語学者の著作を根拠に、それは正しい日本語ではない、と金科玉条のごとく尊ぶ姿勢は、問題がありそうです。

 日本語の数字の読みをローマ数字に使用する例もいくつかありますが、2018年を「ふたぜろひとや年」とは読みません。このような特殊な読み方をするのが船舶関係者たち。数字を一桁づつ読む特殊な読み方です。時刻の場合は24時制で、午後2時50分(14:50)は「ひとよんーごーまる」。海上で、波風により聞き取りにくい状況下、聞き違いを避けるために考え出された方法のようで、海上保安庁、自衛隊等で現在でも使われている読み方です。[7] は「いち」と聞き違える恐れのある「しち」ではなく、「なな」を使います。

 ついでに書くと、歴史年表を覚えるときに使う語呂合わせ。大部分の人は、昔から使われている語呂合わせや自作したものもを覚えた経験があるでしょう。これを簡単に作れるのは、日本語の多彩な文字と柔軟な表記方法、さらに、数字の多様な読み方があるから。

 たとえば、下の例では、ひらがな「に」に数字の [2] を、英語のカタカナ表記「サンキュー」に数字の [39] を割り当てています。

 卑弥呼ニサンキュー (239) 魏の皇帝(卑弥呼が魏に使いを送り金印を持ち帰る)

 また、下の例では、数字 [0] を「まる」と読み、 [1] を「ひと」に割り当てています。

 なまる人(701)にも大宝律令 (大宝律令)

 英語でも語呂合わせがありますが、その方法は、文章で使われる単語のアルファベットの数を西暦の数字に置き換えるもの。なんとも原始的。この方法だと1889年や1999年とかの語呂合わせを作るのは不可能かも。そもそも語呂を作るのがとてつもなく難しく、そんなものを作るのに手間をかけるくらいなら、普通に覚えた方が早いでしょう。

日本語だからできる遊び

 日本語ではこんなこともできる!

 「右の行から読むと結婚できるし、 左の行から読むと振られる。」♯54文字の文学賞


出典: ゆっ%uoo @yukkemakki

 縦書きの文を右から読むか左から読むか。54文字の超短編小説を書くという企画のようですが、上の作品はすばらしい。ネットで広がっているもののオリジナルの作者を見つけるのに苦労しました。

 横書きの二行の英文を上からと下から読むというのとは全く違います。下から読むなんてあり得ないしとても不自然です。

 日本語の場合、左右どちらから読んでもそれほど違和感がありません。そして、どちらから読むかによって、意味が正反対になる。それも、9×6 というマス目が設定されている。本当に驚くべき作品です。

 日本語だからできる知的な遊びです。

「万葉仮名」とはどんな仮名?

 「万葉仮名」という仮名は「漢字」でできています。万葉仮名に使われている漢字は、字義捨象しています。つまり、漢字が本来持っている意味を捨て去り、単に音だけを借りているものです。このため、特定の万葉仮名を自分の都合の良いように仮名に字義を持ち込むような読み方は御法度です。

 逆に、字義を持った読みができた時点で、それは万葉仮名ではないことになります。

 和語の語義と重なり合いのある字義をもった漢字は「正訓字」、その使い方を「正訓用法」といいます。

 たとえば、「サクラバナ」を「桜花」と書けば、「桜」も「花」も正訓字として使われたことになり、「佐久良婆奈」と書けば、「佐」、「久」、「良」、「婆」、「奈」の5文字は万葉仮名として使われたことになります。

 この5文字は、漢字の音を借りているので、「借音仮名」あるいは「音仮名」と呼ばれます。

 これとは反対に、和語の語義とは関係ない訓読みのものを「訓仮名」といいます。「チドリ」を「乳鳥」と書いた場合の「乳」は、和語の「チ(乳)」とは関わりがないので、「乳」は字義を捨象して「仮名」として使われています。

 万葉集はどのような言葉で書かれているのでしょうか。

 その答えは、分からない。

 理由は、「万葉集」の原本が、まだ発見されていないからです。

 万葉集は、7世紀後半から8世紀後半にかけて編まれた日本最古の和歌集で、760年前後に編集されたといわれています。

 現存している最古の写本は、平安時代中期に書写された、巻4の一部が残っているだけの「桂本万葉集」です。この最古の写本でさえ、漢字書きされた和歌の左側に、仮名書きされた和歌が配置されている「平仮名別提」形式になっています。

 20巻すべてそろった最も古い写本は、鎌倉時代後期の写本で、お茶の水図書館が所蔵している「西本願寺本万葉集」と呼ばれているものです。

 写本は、その時代の人が読めるように改編が加えられる場合があり、万葉集の原本がどのように書かれていたのかは、原本が発見されるまで誰にも分かりません。よく底本という言葉を聞きます。全ての主張は、その「底本」が正しいことを前提とする場合に使われる(研究者にとって)都合の良い本です。なぜ、それを底本とするのかの説明には、数文字しか使わない。そんなこと常識でしょ、ということなのでしょうが、管理人には、「常識」が、最新の発掘調査の成果を反映したものなのか分からないので、「常識でしょ」と言われても、それは説明を逃げているだけとしか映りません。

 「常識でしょ」と言っていいのは、名誉教授クラスのお年寄りだけ。そして、その意味は、「自分の古い常識だけどね」ということ。

 夏目漱石の『坊っちゃん』が発表されたのは1906年(明治39年)のこと。今から112年あまり前のものですが、『坊っちゃん』の初版本を読むことのできる人は限られていると思います。ちなみに、『坊ちゃん』ではありません。ふりがなが振ってあっても読めない。50年も前の文章は、特別な知識がないと読めません。ましてや100年以上前の文章は、現代語訳・現代仮名遣いをしてもらわないと読む気も起きない。

 万葉集は和歌集であり、原則、和語で書かれていますが、一部は漢語(中国語)が使われています。万葉集の表記方法は、漢字の使い方により、次の4種類に分けられるそうです。

  • 漢字字義を生かして使う(正字用法・表意的用法)
  •     ・ 字音で読む(書かれている語が漢語)
        ・ 字訓で読む(書かれている語が和語)

  • 漢字字義を捨象して使う(仮名用法・表音的用法)
  •     ・ 字音で読む(借音仮名)
        ・ 字訓で読む(借訓仮名)

 万葉集に収録されている和歌は、舒明天皇(在位629年2月2日 – 641年11月17日)から宝字3年(759)元旦に因幡国庁で万葉集の最後の歌を詠んだ大伴家持(718年頃 – 785年10月5日)の歌までのおよそ100年に及ぶものです。この間に、日本語の表記方法はかなりの変化があったと考えられます。実際のところ、万葉集は、上で示した方法を組み合わせた様々な表記方法で記載されています。

 今野氏は、「万葉集は試行錯誤の場ではない」と何度も強調しています。万葉集が編まれる相当以前から漢字で日本語を書くという手法が確立されていたことを例を挙げて説明しています。pp.34-47

片仮名・平仮名の発生

 奈良時代末期から平安時代初期にかけて、漢字で書かれた仏典などを訓読し、そのために漢字の傍らに、いわゆる「訓点」を施すようになります。

 万葉集に付けられた訓点には、次のようなものがあります。

  • 古点 : 天暦5年(951)、村上天皇の命令で源順(みなもとのしたごう)・清原元輔(きよはらのもとすけ)らの梨壺(なしつぼ)の五人が万葉集につけた訓点。
  • 次点 : 平安時代後期から鎌倉時代初期にかけて藤原道長らがつけた訓点
  • 新点 : 寛元4年(1246)、鎌倉時代に天台宗の学問僧、仙覚(せんがく)がつけた訓点。それまで古点・次点のなかった万葉集の歌152首に加えた訓点。また、古点・次点の読みを改めた訓点。

 この訓点を施すにあたり、字間、行間など、スペースが十分でないところに訓点を書く必要があることから、漢字の画数を省略して書いたものが片仮名となったとされているようです。この時の仮名は、楷書ではなく、行草書的に崩して書いた漢字の偏の部分をとっています。1),p.58

 これが片仮名が生まれた経過と考えられている説なのですが、どこか嘘っぽい気がします。なぜ、訓点を草書で書くのか、草書で書いた訓点が存在するのかなど、管理人には分からない部分が満載の説に思えます。誰かが考えたつじつま合わせの説のように感じます。

 正文は楷書で、訓点は草書でなどあり得ない気がします。小さな文字で書く必要がある訓点を草書で書いたら、誰も読めないでしょう。訓点こそ、楷書で書く必要がありそうです。

 一方、平仮名は、日本語を漢字を使わず日本語で書く場から生まれたとされています。「万葉集」の和歌を「万葉仮名」で書く、あるいは木簡に「万葉仮名」で書くというような時に、漢字を使って書かれた「万葉仮名」を崩して書くことが進んで平仮名が生まれたと考えられています。1), p.59

 平仮名は9世紀に、1音に1字を当てる万葉仮名、万葉仮名の草書体を用いた草仮名、そして平仮名の順に移行したとされています。

 2012年、京都市中京区で行われていた平安時代の貴族藤原良相(813~867年)の邸宅跡の発掘から貞観元年(859年)頃のものと推測される平仮名が書かれた土器片約20点が見つかり、最古級の平仮名の発見となりました。また、同じ遺跡から、9世紀前半の井戸跡で、檜扇(ひおうぎ)と木簡が発見され、それぞれ万葉仮名で手習い歌の「難波津」を示す「奈尓波」などと記されていました。同じ遺跡で万葉仮名から平仮名までが見つかったことで平仮名の成立時期の範囲がかなり狭められることになりました。平仮名は9世紀半ばにはすでにできあがっていたと考えられています。
 

平仮名の字源とは

 いつも使っている「平仮名」。

 その起源は? と調べてみると、どこにも書かれていない。Wikipediaがいい加減なのは周知のこととして、それ以外の辞書にも書かれていない。

 辞書に全く書かれていないかというと、一応は書かれている。でも、その内容は理解に苦しむ。結局、誰も分からない。「こうだ!」と書くと反発を受けるので書きたくない。だから、字数だけ稼ぐような書き方で、中身のない文章を羅列しているように感じます。

 管理人が、なぜこのように書くかというと、次のような疑問に答える辞書がないから。

  • 平仮名が成立したのはいつか? 借字の概念を使うのであれば、説明はその定義から始めること。
  • 平仮名の成立は、平安時代なのか、鎌倉時代なのか、具体例を挙げて説明せよ。
  • 異字体がたくさんあるが、1900年(明治33)の「小学校令施行規則」改正で、四八字に統一された現行字体は、本当に正しかったのか。

 どの辞書を読んでも、平仮名がいつできたのかを説明しないように工夫して書いています。情報の切り貼りという印象を受けます。

 平仮名は、「借字として使われる漢字を、極度に草体化したものである。 漢字の草書体から作られた、日本特有の音節文字」なのだそうです。

 そう主張するからには、元となった「借字として使われる漢字」は特定できているのは当然のこと。たった48字しかない平仮名の字源が分からないはずがない!

 でも、本当にそうなの?

 Wikipediaを見ると、次のような表が載っています。誰もが見たことのある表です。

 平仮名とその字源になった漢字は、

 あ ⇒ 安
 い ⇒ 以
 う ⇒ 宇
 え ⇒ 衣
 お ⇒ 於

 など

 この表を見て、疑問に思いませんか?

 平仮名は、万葉仮名(借字)から成立しているはずです。では、万葉集等の万葉仮名が使われている書物の中で、これらの漢字(安、以、宇・・・)が使われている頻度はどうでしょうか。

 借字から平仮名が成立し、その字源は上表だ! と主張するためには、万葉仮名で使われている漢字(当て字)の頻度が最も高いものが上表とピッタリ一致するはずです。

 管理人は、この説はどうも胡散臭いという印象を受けます。この表は間違っているのではないか。そんな気がします。たとえば、管理人がざっと見た中で、「あ」は「赤」をあてている事例がありました。

 少なくとも管理人は、万葉仮名に使われている漢字の度数分布を見たことがありません。

 現存する万葉集の最古の写本は、書写年代が11世紀後半ごろとされています。また、最古の万葉仮名は、大阪・難波宮跡で発掘された7世紀半ばの木簡に記載されているもののようです。

 近年の研究により、歴史的に正しいと思われていたことがひっくり返されている事例をよく見かけます。学説といわれる事柄の根拠をだれも説明できない。実際には、学説でも何でもなく、だれか声の大きな人が騒いだのが定説とされているのではないでしょうか。

 江戸時代から太平洋戦争以前にかけての歴史研究は、論理的思考ができない日本人の欠点が如実に表れた研究結果になっているように思います。戦後は、その反動で、さらに中身のない研究になっている。少しまともになったのは、つい最近かも。

 上で掲載した字源表を見るたびに不思議に思うのは、あいうえお・・・、に使われている万葉仮名の種類はたくさんあるのに、なぜ、この漢字が選ばれたのかということです。


 出典:1字1音万葉仮名一覧、Wikipedia

 下の表をご覧ください。万葉集、古事記・日本書紀の歌謡に使用されている万葉仮名の出現頻度を植芝宏氏がまとめたものです(万葉散歩フォトギャラリー管理人 植芝宏氏作成のデータより)。


 出典:試作 万葉仮名一覧、万葉散歩フォトギャラリー管理人 植芝宏氏のサイトより引用

 万葉集や古事記・日本書紀で最も使用頻度が高く、当時一般的に使われていた「万葉仮名」の漢字が字源となり「平仮名」ができた、とするのであれば、それは間違った解釈であることが上の表から証明できます。さらに、平仮名の「つ」の字源とされる「川」が、上の表では出てきません。

 以上のことから「平仮名の字源」は、① 楷書体の簡略化で発生したのではないか、そして、② 通説とされる字源が違うのではないか、と思います。「平仮名」が作られた当時、最も頻繁に使われていた万葉仮名が字源になったものと考えられます。

 もし、そうだとすると、100年以上にわたって詠まれた4500首の歌それぞれの実際に詠まれた時期が分かるのであれば、平仮名の成立時期の範囲をもっと狭めることができるかも知れません。ただし、上で指摘したように、現存する万葉集は写本のため、原本とは異なった万葉仮名が使われている可能性があります。

 でもこれは、現在の平仮名を前提としている考え方なので、明治時代に変体仮名の方が採用されていたら、どうなっていたのだろう、という新たな疑問が生じます。きりがないので、これ以上深く考えないことにします。

歌が作られた120年間を「万葉の時代」といいますが、それは大きく4期に分けられます。629年の舒明天皇即位から672年の壬申の乱までを「初期万葉」、その後710年の平城京遷都までを「白鳳万葉」、遷都以降729年の天平元年までを「平城万葉」、天平元年以降759年までの聖武天皇時代を「天平万葉」とそれぞれ区分されています。5分でわかる万葉集!編者や構成をわかりやすく解説します!

 上の表をこの4区分で整理すると、「仮名」成立の時期を絞り込むことができるかも知れません。

漢字の読み方の種類

 日本語はとても特殊な言語で、「平仮名」や「片仮名」、さらに「漢字」も使います。「漢字」の読みは「呉音」、「漢音」、「唐音」、「大和言葉」に区分されます。たとえば、「明」という漢字の読みは、ミョウ、メイ、ミン、あかるい、と読むことができます。8)

  • 呉音 : ミョウ   ⇒ 明星、明年、無明
  • 漢音 : メイ    ⇒ 明確、明暗、明快、明治
  • 唐音 : ミン    ⇒ 明朝体 (明王朝関係以外での使用例はないかも。「明太子」)
  • 大和言葉: あ(かり)⇒ 明かり、夜明け

 呉音は、中国と正式な国交を結ぶ以前、仏教などの教典とともに取り入れた(呉と呼ばれる)揚子江の下流地方の発音です。当時(日本では大和時代)の南朝の首都 建康(南京)付近の漢字音をいう。中国語の中古音の特徴を伝えています。

 漢音は、7、8世紀、遣唐使や留学僧らによってもたらされた唐の首都長安の標準的な発音(秦音)です。

 唐音は、唐の時代の発音ではなく、ずっと時代が下った明・清の時代の発音です。鎌倉時代以降、禅宗の留学僧や貿易商人らによって伝えられたもののようです。これを唐音を呼ぶのは、中国人のことを“唐人(とうじん)”と呼んでいたためです。 3)、(Wikipedia{呉音})

 面白いことに、現在の中国語の発音よりも呉音発音の日本語の方が古代中国語の発音に近いらしい。つまり、現在の中国語の発音を元にして、古代中国の発音を推定することは無理があると言うことのようです。

 今回、調べていて初めて知ったのが、日本語の数字の読み(イチ、ニ、サン、シ)は、呉音そのものだということ。これが古代中国語だったとは驚きです。中国語の数字は、麻雀で使う「イー、リャン、サン、スー、・・・」だと思っていたので。

なぜ、仮名には「平仮名」と「片仮名」の二つがあるのか

 管理人が不思議に思っていることの一つに、仮名はなぜ二つあるのかという疑問があります。この答えは誰もできないようです。ただの一つもまともな仮説がありません。

 片仮名は僧侶が経典の訓点で、平仮名は女性が手紙を書くために・・・、との説は、なぜ片仮名を使わず新たな文字を作ったのかという素朴な疑問に答えていません。推測は誰でもできますが、誰もが納得できるような根拠を示して説を展開している人はいないようです。

 もし、平仮名が女性が書く手紙に使うために生み出されたとするのであれば、受け取った男の返信はどんな文字で書いたのでしょうか。それは平仮名ではなく漢字であったと考えられます。つまり、女性は、漢字も読めるし、平仮名も書ける。相手は、平仮名も読めるが、平仮名で手紙は書かない。

 また、平仮名が女性の手紙から生み出されたとするならば、その平仮名の字源は、たくさんある万葉仮名の中でも特に美しい文字(意味、形)でなければなりません。この説を唱えるのであれば、50音全ての平仮名の字源について、その美しさを説明する必要があります。その場合、片仮名の字源と比較した上での説明が必要となります。女性が片仮名を使わず、平仮名を生み出したのですから、その差別化について説明する必要があります。(平仮名が片仮名よりも先にできた場合)

 たとえば、「ぬ」の字源とされる「奴」。これはどう見ても美しい字ではありません。なぜ、「奴」よりも遙かに情緒的な漢字「去」や「眠」を字源としなかったのでしょうか。もちろん、平仮名が成立した当時は様々な書体を持っていたと思われます。でも、その書体の字源は美しくなければならない。女性の手紙説を採るのであれば。

 平仮名と片仮名は、ほぼ同時期にできあがっているようです。

 奈良時代末期から平安時代初期にかけての人たちは、中国から輸入したたくさんの漢文書物を読み、記紀を読み、古事記より古い帝紀、本辞、天皇記、国記、臣連伴造国造百八十部并公民等本記、風土記などを暗唱していたのでしょう。

 そこで使われている膨大な数の漢字に比べれば、仮名に使われる50字程度の文字など取るに足らないもの。2種類の仮名文字ができてもおかしくない?

 もし、そう考えるのなら、二つではなく三つ、さらには四つの仮名文字があったのでは? という考え方も成り立ちます。それらは淘汰されて、現在の平仮名と片仮名だけが残った?

 消えた仮名文字は、実は、「神代文字」として現代に伝わっているのかも? などと考えると神代文字のルーツを全く違った視点から捉えることができます。

 日本最古の万葉仮名文が書かれた木簡は7世紀半ばのものとされています。また、現存している日本最古の紙は、正倉院に保管されている飛鳥時代、702年の戸籍で、美濃紙でできています。なぜ、戸籍が宝物を納める正倉院にあるのか。701年(大宝元年)に大宝律令が成立、国号を日本に改めます。その最初の戸籍調査ゆえ、宝物として奉納されたのでしょうか。

 なぜ、平仮名、片仮名という二つの文字ができたのか。管理人には分かりません。研究者の主張する説も理解できません。最後の遣唐使が海を渡ったのが838年のこと。この時の派遣は悲惨なもので、2度も渡海に失敗し、3度目にやっと渡海に成功したものの、帰りの船が漂流して百数十名の死者を出したといわれています。838年の遣唐使の次に予定されていた894年の派遣は中止され、以降、遣唐使は廃止となりました。

 859年の裘甫の乱、868年の龐勛の乱、そして、874年頃から黄巣の乱が起きるような中国には、危なくて使節など派遣できない。

 「危険な渡海を・・・」という理由で遣唐使が廃止されたというのであれば、それより遙か昔の白村江の戦い(663年10月)は何だったのか、ということになります。昔はできたけど、今はできない、というほど航海技術が退化していたわけではないでしょう。

 そう思って調べてみると、確かに遣唐使船の遭難がおびただしい頻度で発生しています。

 朝鮮半島に渡るのと直接中国本土に渡る遣唐使とではルートが違いますが。663年の白村江の戦いで日本は朝鮮半島の足場をなくし、さらに670年から676年に行われ唐・新羅戦争などにより唐と新羅の関係が悪化したことにより、朝鮮半島を経由するルートでの航海はできなくなりました。

 下図で、沖縄経由の航路が最もらしく掲載されていますが、このような航路が採用された事例は一例もありません。漂流してたどり着いた場合を除けば。


 出典:Wikipedia、遣唐使の航路

 最後の遣唐使船の遭難劇を航海の危険性に結びつける説明は、一般読者が、それ以前の航海技術のレベルを過小評価してしまう危険性をはらんでいます。西暦838年当時でさえ危険な渡海、それより昔はもっと危険だったはず、という思い込みを誘う気がします。

 日本は、列島の中央を多くの山脈が走る山だらけの国です。山脈を越えるのは大変ですが、かといって、山脈に平行に移動するのが楽なわけではありません。山歩きをする人ならご存じのように、沢を一本間違えただけで遭難する場合もあります。日本の地形は、移動には向いていないのです。

 こんな日本で発達したのが航海技術でしょう。縄文人の遺跡から見つかる離れた場所を原産地とする遺物は、縄文人が船を使い、移動していたことを示しているようです。

 世界最古の土器が縄文遺跡から見つかるのも、日本列島の地形に関係するのかも知れません。狩猟採取の生活は、地形がある程度平坦でないと難しい気がします。土器を持ったということは、定住したということを示しています。重い土器は移動には不向きです。

 遣唐使船が遭難した理由は、天候が不安定な時期に渡海したことでしょう。唐の元日に行われる朝賀に出席するため、12月には入唐しておく必要があったことから、日本の出発は6月から7月ころであったようです。荒天で遭難したと天災説を採るよりも、無謀な時期に渡海した人災説の方が的を射ているようです。

 遣唐使について研究している研究者はとても少なく、「各自の狭い専門領域で論文を発表し、研究書を出し、各自の学説を展開しているために統ーした見解が存在せず、一般の歴史好きな人々を迷わせているのです。」6)、と述べている研究者もいます。

日本語の特徴

 私たちが普段話す現代日本語は、中国など大陸の影響を受けてきたことを否定する人はいません。ただ、どの部分がどの程度の影響を受けたのかをまじめに検討する人もほとんどいないと思います。

 まず、文字ですが、中国語からの借用語である漢語が採用されました。その後、助詞などを表記するのに便利な片仮名、平仮名が発明されます。

 ここで問題となるのは『音韻』です。日本では、”日本語を表記するために” 漢字が採用されました。漢字に日本語の読みを当てはめていったのです。

 中国の文字である漢字だけで書かれた日本の文章を中国人が “読めるか” と言えば、読めるわけありません。漢字を使って日本語の文が書かれているのですから、中国人が読めないのは当たり前です。

 ところが、読めないけれど、ある程度の意味は理解できる。これは漢字が表意文字ゆえの利点と言えます。

 古来、日本語を漢字に当てはめていく際に、日本語の意味に近い漢字を当てはめたから意味が理解できる。しかし、それは厳密ではないし、中国語の漢字の持つ意味とは違う意味の日本語に使われている場合があり、むしろその方が多いでしょう。

 ところが、このことが逆に文献解読の支障になる場合があります。表意文字としての漢字を日本語である程度理解できることから、理解できない部分を覚えれば、すべてを理解できる。そう勘違いする人たちがたくさんいます。

 ここでの問題は、音韻という考えがないということです。

 外来語で影響の大部分は文字の借用や語彙、つまり、単語レベルでの大量移入の問題であってその他の要素、文法や音韻についてはそれほど大きな影響は受けていません。

 漢字を導入したからといって、日本語の文法が中国語のように変化した訳ではありません。

 特に音韻は、様々な言語を構成する要素の中でも他言語、他方言の影響を受けにくい要素であると考えられており、むしろ、影響を受けないのが原則であるとさえ言えるそうです。

 日本語の音韻は、時代とともに変化してきました。

 現代の日本人が当たり前のように発音するファイト、フィルターなどに聴かれる「ファ、フィ、フェ、フォ」の音、「パーティ、ディナー、トゥモロウ」などに聴かれる「ティ、トゥ、ディ、ドゥ」の音など、それまでの日本語には存在せず、新たに使われるようになったタイプの音韻があります。

 前述のように、音韻は変化しにくいもの。簡単には変化しません。とても保守的。

 これは、日本語にない音は発音できない、ということです。

 現代日本人は、わずか五つの母音だけを使って話をします。日本という単一言語圏に生活する日本人にとって普段は意識することのないことですが、英語を話そうとするとこれが通じない。日本語にはない英語の母音を発音できないからです。母音だけではありません。子音の発音もできません。

 日本にいる日本人は、自分の話す英語がなぜ通じないのかを理解していないし、理解しようともしません。上の説明を聞いてもピンとこないというのが実態でしょう。

 そこでスペイン語の例を挙げます。管理人の経験です。

 スペイン語には、語頭が[S]で始まる語はほとんどありません。あるとすれば外来語です。語頭の [S] は [ES] という文字が使われるのが普通です。「スペイン」は “España” ですし、スペイン語は “Español” です。

 彼らは、シルベスター・スタローン(Sylvester Stallone)の発音が苦手です。最初の「シルベ・・・」の部分は何とか発音できたとしても、次の「スターロン」の部分を「エスタローン」と発音してしまいます。語頭の「ス」の発音ができないのです。「ス」の発音ができないのではなく、語頭の「ス」の発音ができないのです。そして、発音できるようになろうともしません。

 スペイン語圏の人がなぜ「シルベスター・スタローン」と発音できないのか、見ているととても不思議な気持ちになります。これと同じことを英語圏の人は日本人の話す英語を聞いて思っているのでしょう。

 これまでの日本語にはなかった「ファイト」の「ファ」の音を今の日本人が発音できる理由は、その使用頻度にあるようです。戦前生まれの方は「ファ」の発音が苦手でしょうが、若い人たちで発音できない人はいないでしょう。

 ところで、英語の「Fight」を日本人が発音できている訳ではありません。「F」の音を日本語の「ハ行」を使って発音しているに過ぎないのです。音韻はなんら変化していません。日本語はこんなことができるから、なぜ英語が通じないのか理解できない(笑)。ちなみに、英語のFUとHUの区別は日本語の外来語においては、放棄されてしまっています。

 まとめると、① 音韻はほとんど変化しないとても保守的な性質のもの、② それゆえ、そのことについて考えることを好まず、拒否反応を示す、③ 新たな音韻が生まれたように見えても、実際には従来の音韻の範囲内、ということ。

 通常は変化しない音韻が変化する場合があるという現象は、音素結合の「空き間」、これを埋めるような音声は他言語から受け入れやすい、という考え方があります。この説明は書いても理解できないと思うので省略しますが、この説でも説明できない変化もあり、結局のところ、音韻変化の理由をすべて説明できる説は存在しないようです。

中国人が書いた魏志倭人伝の倭国語読みとは

 魏志倭人伝に記載されている「卑弥呼」を「ヒミコ」と発音するのが当たり前のよう語られています。しかし、魏志倭人伝に使われている固有名詞は、中国人が倭国の人の発音を聞いて、その音を中国語で表記したものです。当然、そこで使われる漢字には字義ありません。中華思想から他国に対しての記述に卑しい文字を使おうとする執筆者の意図はありますが。

 では、「卑弥呼」という漢字を当てた中国人は、この単語をどのように発音していたのでしょうか。その音(おと)こそが「卑弥呼」の「日本における音」に近かったのでしょう。それは、少なくとも、「ヒミコ」ではありません。

 管理人は中国語が全く分からないので、「卑弥呼」の中国語発音をパソコンで聴くと、『へ(ハ)イミンフー』という音に聞こえます。(3世紀と発音が変わらないと仮定すると)3世紀末、『三国志』を書いた西晋の陳寿は、『へ(ハ)イミンフー』という音を聞いて、「卑弥呼」という漢字を当てたということになります。

 つまり、当時の邪馬台国の女王の名前は『へ(ハ)イミンフー』と中国人に聞こえる発音だったことになります。

 管理人と同じような疑問を持った方が『「卑弥呼」という文字を、3世紀頃の中国ではどう発音しましたか?「卑弥呼」の本当の呼び名を知りたいです。 』という質問をYahoo知恵袋にされていました。

 これに対する回答は、上古音(秦周の中原の発音)は、「漢和大字典」によれば、

  上古音: piĕr miĕr hag ピール ミール カーグ
  中古音: piĕ miĕ ho ピー ミー コー

 とカナで書けるらしい。「卑弥」と部分は、「ピミ」と発音されていたことは間違いなさそうですが、「呼」の部分は、(日本語発音の)「カ、コ、ク」のどれかの発音だったと推測されるようです。

 三国志・魏志倭人伝が書かれた魏の時代の音は分かっていません。現在分かっているのは、それより以前の上古音(周・秦・漢時代の音)と後の中古音(隋・唐時代の音)のみ。

 すると、「ピミカ」、「ピミコ」、「ピミク」のいずれかの読みが、「女王卑弥呼の呼び名」だったことになります。

 現在の日本語の漢字の音読みは、全てが中古音(隋・唐時代)以降の音を日本語の音へ訛らせた音です。2)

 古代日本語には、ハ行の音がなく、これをカ行に置き換えて音を発していたようです。ハ行は江戸時代中期以降に誕生した音のようで、それまでは、「ファ」と発音していました。たとえば、「海」という漢字は「カイ」と読みますが、本来の中国語では、「上海(シャンハイ)」のように「ハイ」と読みます。中国音には変化がなく、昔から「ハイ」と発音します。「上海」の読みは、幕末に入ったもので、清朝北京音のようです。

 すると、「ヒミコ」と日本語で発音していた可能性はなくなります。ハ行 ⇒ カ行 の置き換えがあったとするのなら、「ヒミコ」ではなく「キミコ」が正しい読みかも。でも、これは議論のすり替え。どこですり替えられたか分かりますよね。中国人が聞いて書き残した音の話なのに、日本人が聞いて書く場合にすり替えられています。というか、議論をすり替えました(笑)。

 中国人が聞いた音が「ピミカ」であったとすると、ここでパ行の発音が出てくることに違和感を覚えますが、上代のハ行の発音はなく、実際にはファ行(F)もしくはパ行(p)の発音であったらしい。3) (出典2)と3)とで説明が違います。だから面白い。)

 ここまで読んでから下の画像を見ると、これまでとは違ったものに見えてくるのでは?


 原典不詳画像

 「ピミカ」という音を自分で発音していると、アイヌ語の「ピリカ(pirka)」を連想します。これはアイヌ語で「良い」「美しい」「きれいだ」「立派だ」「豊かだ」という意味になります。アイヌ語は北海道で使われていたという漠然としたイメージがあると思いますが、実際には東北地方の方言に多くのアイヌ語由来の言葉が現代まで残っています。

 テレビなどの影響で、日本人は標準語を理解し、話すことができますが、そうなったのはつい最近のこと。地方によっては、独自の方言しか話さない人もいます。その人たちが話す発音は、現代日本語とは異なります。50音では表すことのできない特殊な発音です。

 漫画などで、「あ゛ー」という文字を見たことがあると思います。何となく発音できそうな気がするから不思議です。

 では、「さ゜」、「つ゜」・・、をなんと発音するか分かりますか。「さ゜」は「つぁ」、「つ゜」は「つぇぁ」と発音します。

 管理人が小学生の時(4年生くらい)、友達のノートを見たら、このような見たこともない平仮名が書かれていたのでとても驚いた記憶があります。そして、この読みを教わりました。方言を表記する場合にしても便利な平仮名です。

 邪馬台国がどこにあったかは別にして、そこで話されていた言語(古代日本語)がアイヌ語の影響を強く受けていたことは間違いないでしょう。

日本語のルーツ

 日本語のルーツは現在でも不明とされています。

 文法構造が似ている言語にツングース語、モンゴル語、トルコ語があります。

 ツングース語、モンゴル語、トルコ語は文法構造がきわめて類似していることから、この三つの言語を一括して「アルタイ語」と呼び、日本語もこれに含まれるとする考えもあります。しかし、日本語とこれらの言語とは対応する単語を持たないことから、別言語とするのが一般的です。

 歴史的に大陸の影響を強く受けてきた日本語ですが、漢字を使っているからと言って、ルーツは中国語と考える人は一人もいないでしょう。中国語と日本語で音が同じものがたくさんあるからルーツは同じと考える人もいません。音が同じものがあるとすれば、それは中国から輸入された言葉と考えるのが合理的です。

 1万4千年続いたとされる縄文時代の末期に話されていた古代日本語は、アイヌ語の影響を受けていたのでしょう。現代の日本語とアイヌ語は単語の音韻対応がないとされ、両者は全く別の言語と考えられているようですが、片山龍峯氏が単語家族(Word Family)という概念を用いることで、両者が関連性のある言語であることを説明しています。

 ただし、国語・言語学からは、音韻による言語の識別は一般的で、その関係が確認できなければ、別言語と判断されるのは仕方のないこと。

 国語学者の大野晋氏の著書『日本語の源流を求めて』5)を読むと、この音韻関係がとても重要であることが分かります。大野氏は、二つの言語が同系列であることを証明するには、お互いの単語の発音に「対応」という事実があることを示す必要があるというデンマークの言語学者ラスクらの説を挙げ、南インドのタミル語と日本語との間にこの「対応」が多く確認できることを主張しました。

 

 大野氏の説は、言語学の重鎮、風間喜代三氏らにより批判を受けます。管理人は全くの素人なので、風間喜代三氏らの批判がどのようなものか理解できないのですが、大野氏が他の言語学者と比べても圧倒的に多くの書籍を世に出していること、辞書の編纂に携わっていること、などの優れた業績を見ると、大野氏の説を頭から否定する気にはなれません。

 大野氏の業績に対し、風間喜代三氏の論文は極端に少ないと感じます。論文をまともに発表しないのにその道の重鎮になれるのは、どのような仕組みなのでしょうか。ノーベル賞受賞者でさえその後の実績がなければ職を失うという環境に置かれている米国人の目からは、何ら業績がない人物、としか映りません。

 管理人の博士課程の指導教官から、論文は書いても辞書・辞典を書いてはならない、との指導を受けました。博士になったとしても、そこは踏み込んではいけない世界なのだそうです。大野氏の著書 5) を読んで、字典の編纂に何度も携わっていることを知り、驚きました。そして、指導教官が言った意味が分かりました。管理人はぜったいできない!

 タミル語/日本語由来説は、このような経歴の大野氏の説でなければ一笑に付すと思うのですが、内容はなかなか面白い。でも、やはり無理があります。

 管理人が面白いと感じたのは、正月の風習をタミルの風習でも説明できるとしていることです。これって、「イスラエルの失われた10支族」の話で、その末裔が日本人という説を裏付ける証拠として使われている部分です。

 「イスラエルの失われた10支族の末裔が日本人」説をワクワクしながら読んだのに、タミル人でも同じことが言えるのかと唖然としました。しかも、大野氏の実績に鑑み、その研究成果は、素人の唱える日ユ同祖論より重い。

 イスラエルからはるばる陸路を辿って日本に来るより、南インドのタミル人支配地域から船で日本に来たという説の方が “ありそう” という気がしました。でも、大野氏の説が戦前に発表されていなくて良かった。もし、発表されていたら、軍部に利用されていたでしょう。

日本人は漢字を忘れても手紙が書ける

 日本語のおもしろいところは、もし、漢字をど忘れしても手紙やメモが普通に書けること。辞書がなくてもほとんど困りません。見栄えはともかくとして、表記することは可能です。漢字の代わりに仮名を使うだけなので簡単です。

 ところが、中国人が漢字を忘れるとどうしようもない。表意文字の漢字を使っているので、他の漢字を当てるのも難しい。実際には「漢字忘れ」はほとんどないと説明するのが一般的なようです。しかし、そのように答える人は中国人のどの階層のことを言っているのかという疑問が新たに生じます。北京語は中国人なら全員分かりますという回答と同じ気がします。

 漢字を忘れた中国人は、「ピンイン」と呼ばれるアルファベットの発音表記で書くというという定番の答えがあるようですが、漢字を忘れるような人が「ピンイン」を覚えているとは思えない。

 そして、最大の問題は、「ピンイン」を使ったり、類似する漢字を当てたりすれば、「あっ、こいつ、漢字を忘れたのか」とバレバレになること。

 表音文字のアルファベットを使っている欧米人の場合はどうでしょうか。実は単語のスペルを忘れると手紙が書けない。英語には正書法があるからです。正しい書き方、正しいスペル以外は間違いとされ、嘲笑されます。

 ただし、今は携帯ですべて解決しますが。

 日本語の場合、多少、平仮名が多い文章でも文句を言う人はほとんどいません。

 日本語の手紙に仮名が多いと幼い感じがしますが、それはそれで味わいがでてくることもあります。じゃあ、漢字を多く使って書けば良いかというと、今度は、最新の日本語表記基準も知らない、現状の変化について行けない古いタイプの人と映ります。その人が学校で覚えたときの基準を絶対視し、それ以降に変化した表記基準の学習を怠っている。

 管理人は、記事を書くときは意識的に句点を多用します。しかし、もし、それを印刷原稿にするとしたら、句点を減らす作業が必要になります。

 ネット上の記事は、読みやすさと読むスピードが重要でしょう。本来なら平仮名で書くべき部分も、これを意識して漢字を当てる場合があります。平仮名が連続するととても読みにくくなります。この場合は漢字を当てるようにしています。

 このため、表記方法に統一性がなくなりますが、それを気にする人はほとんどいないでしょう。でも、中にはすぐに気づく人もいます。管理人もその一人かも(笑)。

 この記事は未校正です。誤字脱字、全体構成は後ほど見直すこととして、この版でアップします。

1) 『正書法のない日本語』、今野真二、岩波書店、2013
2) 『邪馬台国音韻考』、増田弘、鳳文書林、2001
3) 「「ハ行音の問題」について
4) 『日本語とアイヌ語』、片山龍峯、すずさわ書店、1993
5) 『日本語の源流を求めて』、大野晋、岩波新書、2007
6) 『遣唐使・その航海(The Voyage of Japanese Envoy t o Tang Dynast y China)』、上田雄、海事博物館研究年報39、2011、pp.16-23
7) Wikipedia 『呉音
8) Wiktionary 『
9) 石井未来館、『石井式で漢字力・国語力が驚くほど伸びる
10) 『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』、笹原宏之、光文社、2008