こだわってみる:社会的年齢

こだわってみる

以前から不思議だったことに、「社会的年齢」があります。それって、何? という感じですが、順を追って説明します。

 「長老」という言葉は誰でも知っています。「長老」は、長く生きているだけあって、知識の宝庫です。ただ、寄る年波には勝てず、体力的には若者には勝てません。

 この長老が住む地域で大きな問題が発生し、この問題を解決するため集落の集会が開かれます。

 長老の意見は、経験を踏まえ以前の環境であれば正しいが、昔とは状況が全く変わっており、長老のカビの生えたような意見には従わない、これが、若者たちの意見です。

 映画や漫画に良く出てくる構図です。

 ドラマの世界では、超人的な心身能力とオカルト的な意志力を持った長老が登場し、庶民をあるべき方向に正しく導きます。あるいは、頭の固い長老の意見を退け、熱血漢あふれる青年が、思いもよらないアイデアを提示し、または、行動し、庶民を正しい方向に導きます。

 ドラマとしては面白いのですが、実際にはこのようなことは起きるのか?

 長老と呼ばれる人のイメージは、80歳以上でしょう。個人差がありますが、身体能力は衰え、一定の思考を維持することも困難な場合もあります。

 一方で若者はどうでしょうか。ドラマでは登場するヒーロー的若者は10代後半から20代半ば。現実の若者はというと、とてもそんな力はない。

 ここで、おかしなことに気づきます。長老と若者との間の階層は何をしているのか。30代から60代にまたがる幅広い階層です。この階層は主役になれないということでしょうか。ドラマでは、「フォロアー」の役を演じます。フォロアーとは、リーダーの後に続く支持者です。フォロアーなくしてリーダーは存在できません。

 リーダー論についてはたくさん論文がありますが、フォロアに着目した論文についてはほとんど見かけません。

 ドラマの構成は単純で、ヒーロー待望論です。指導者さえいてくれたなら、この状況は良くなるのに、そんな、ストーリー展開で、突如、ヒーローが登場します。

 現実社会では、これはかなり無理があります。フォロアがいないヒーローは、いずれは孤立し、人々は離れていきます。

 明治維新を作り上げた幕末の志士たちの年齢が若いことに驚きます。薩長同盟(1866年)の時点の年齢を見ると、西郷隆盛が38歳、坂本龍馬が30歳、木戸孝允が33歳でした。40~50歳台の人たちは何をしていたのか。きっと、何もしなかった、と言うことでしょう。この年代は隠居している年齢です。とても保守的で、大きな変化を望んでいない。

 さて、現代はどうでしょうか。