「サムシング・グレート」の謎を追う

サイエンス・テクノロジー

 今日は、遺伝子と微生物のお話しです。

腸内フローラとは?

 「腸内フローラ(Gut flora)」という言葉をご存じでしょうか。人間の腸内に生息する細菌群を総称するものとして最近よく耳にします。

 この細菌は人間の身体の中にどのくらいいるのかとWikipediaを調べてみたら、その数なんと1000兆個!
 でも、これは嘘っぱちですね。

  「腸内細菌とは、ヒトや動物の腸の内部に生息している細菌のこと。ヒトでは約3万種類、1000兆個が生息し、1.5kg-2kgの重量になる。」(Wikipedia、腸内細菌

 この情報の出典になっている須藤信行氏の論文『ストレスと腸内フローラ』を読むと、そんなことはどこにも書かれていない。「細菌数は成人で10の14乗、重量にして1kgにも相当するとされている」という記載はありますが。ちなみに、10の14乗は100兆個です。出典にないことをあたかも引用したかのように装い、さらに誤って記載しているなどWikipediaの執筆者としては失格です。


 Source: なんでも保管庫

 管理人がこの数にこだわる理由は、人間の細胞数との関係にあります。

 レニンで有名な村上和雄氏の著書『生命の暗号』を読んでいたら、体重60キロの人で約60兆個の細胞からできている。成人1キロあたり約1兆個の計算になる[1]、と書いてありました。

 すると、人間の細胞の数(60兆個)より体内の細菌数(100兆個)の方が多いということになります。

 これってどう考えてもおかしい。細菌が住み着く腸の空間よりも人間の体積の方がはるかに大きい。水分を考慮したとしてもオーダーがおかしい。しかも、細胞は生命の最小単位。

 どちらかの数値に大きな過ちがあるように思います。

サムシング・グレートとは?

 なぜ、こんなことを問題視するのかというと、それは「サムシング・グレート」との関係にあります。

 村上氏が唱えた「サムシング・グレート(偉大なる何者か)」。彼が遺伝子レベルの研究をしている上で導き出したひとつの結論なのでしょう。たとえそれが宗教じみた考え方に見えたとしても、何の実績もない批評家の話よりは真実みがあります。

 村上氏の論理は、すべての生物に共通する遺伝子の存在は、「サムシング・グレート(偉大なる何者か)」によって造られたとしか考えられないというもの。そして、遺伝子には、ONとOFFの状態があり、特定の条件でそれが切り替わるというもの。そして、それを切り替えるものは人間の意志と村上氏は捉えている。

 この遺伝子のONとOFFという捉え方は、今からちょうど20年前、『生命の暗号』が刊行された1997年には目新しい考え方だったのですが、現代では広く受け入れられています。長寿遺伝子のON、OFFについてのテレビ番組もたびたび放映されています。

サムシング・グレートはどこにいるのか?

 管理人が村上氏の『生命の暗号』を読んでいて違和感を覚えたのが、微生物についてまったく考慮されていないこと。人間とその体内微生物とは共生関係にあります。 

 では、体内の微生物は、遺伝子のON、OFFに対して全く作用していないのでしょうか。これが、管理人が疑問に思ったことです。そして、これが冒頭で体内の微生物の数と人間の細胞数にこだわった理由でもあります。

 微生物の世界は研究者が少なく、実際の所、ほとんど何も分かっていないのが現状です。そもそも、生物なのか鉱物なのか、それさえも分からないのが微生物の世界。培養できないと観察することさえ難しい。研究されているのは培養が可能なほんの一部の微生物だけです。


 Source: なんでも保管庫

 近年の研究で人間の生命維持に『腸内フローラ』が大きな役割を果たしていることが分かってきました。
 腸内に住む微生物はすべて大腸菌と思いがちですが、実際は違うようです。

 慶応大学先端科学研究所 福田真嗣特任教授によれば、日本人のお腹の中に大腸菌は少なく、数百から数千ある腸内細菌の1%程度なのだそうです。以前は、善玉菌、悪玉菌、日和見菌と分類されていましたが、悪玉菌とされてきた中にも人間に有用な働きをする菌がいることが最新技術で発見されています。

 人間の生命維持に不可欠な存在である微生物が、村上氏が唱える「サムシング・グレート」そのものではないか。このような仮説を考えて見ました。なぜ、そう考えるのか。それは、微生物が人間の歴史よりもはるかに長い歴史を持つ生物だからです。もし、「サムシング・グレート」を「神」にたとえるのならば、微生物は神の座に最も近い場所にいる・・・筈です。

 もう一点、『生命の暗号』を読んでいて疑問に感じたことがあります。それは、『炭素』が完全に無視されているということ。村上氏はタンパク質に特化した視点で物事を捉えているようです。このため、炭素が完全に無視されているように感じました。

 管理人は、村上氏が唱える「サムシング・グレート」の存在を解き明かす鍵は、同氏が見落としている『微生物』と『炭素』にあるような気がしてならないのです。

遺伝子のON、OFFに体内細菌が関わっているのか?

 われわれの生命は炭素によって形づくられていますが、エネルギーは還元状態にある炭素からしか取り出すことができません。この炭素を燃やしてエネルギーに換えます。そこで排出されるのが二酸化炭素。つまり、酸化した炭素です。この酸化した炭素を再び還元状態に戻して、エネルギーを取り出すことは、通常はできません。

 ところが、これをやってのける優れものがいます。それが植物。植物は光合成によって、二酸化炭素から酸素を取り除き、それを気体として放出して還元状態の炭素を創り出します。太陽エネルギーを使って巧みに二酸化炭素を還元して炭素を創り出している。

 管理人が『炭素』に着目する理由は、「葉緑体」と「ミトコンドリア」、そして「シアノバクテリア」の存在が「サムシング・グレート」と深く関わっていると考えるからです。生物の発達過程から考えても、これらが「サムシング・グレート」と無関係と考えることの方が無理があります。

人間は本当に脳で考えているのか?

 人間がいろいろ考えたりする臓器はどこでしょうか? そんなの脳に決まっているよ! そんなことも知らないのか、この管理人は!・・・と思われそうですが。

 脳からの微弱な電気信号により人間が行動しているということは、確認されていることです。では、その電気信号を発するように指示している臓器はどこにあるのでしょうか。そして、そのメカニズムは? 

 脳でしょうか? それとも心臓でしょうか? はたまた別の臓器でしょうか? それは確認されていません。つまり、分からないのです。これが分かればノーベル賞のようです。

人間の「心」はどこにあるのか?

 昨年、2016年12月18日放送のNHKの『サイエンス zero』で『徹底解説!科学の“未解決問題” 心はどうやって生まれるのか?』という番組をやっていました。科学の“未解決問題”について2週にわたって放映していました。

 この番組では、『心』を「意識・意志・感情・思考」の四つで捉え、心が頭脳のどこで発生しているのかの研究状況を解説していました。結論から言えばそれが分からない。だから「科学の未解決問題」なのですが。

 脳内で発生する微弱な電気信号の場所を突き止め、そこに心があるのではないかという仮定で研究が進められているようですが、その場所が脳の様々な場所で反応があることから、現時点では心の場所は全く分からないようです。

 この番組は日本科学未来館で公開収録されたものですが、会場の女の子から、「なんで脳だけ調べるんですか?」という鋭い質問が出されました。なぜ心の場所が脳にあると考えるのか? 心臓や他の臓器を調べないのか、という素朴な疑問です。これに対して、プレゼンを行った神経科学者の金井良太さんは、他の臓器はその役割や機能が分かっているが、脳は分からないから、と答えていました。

 確かに、胃は食物を消化する器官、腸はそれを消化・吸収する器官・・・という見方をすれば、既にそれらの臓器の機能は解き明かされており、残るは頭脳だけ、という発想は頷けます。

 しかし、ここで『微生物』という視角で観ると、何も分かっていないことは明らかです。
 例えば、下の動画。

 スイスの食品科学者 Heribert Watzke氏がTEDでプレゼンを行っています。
 まずは、これをご覧下さい。

Source: TED, 【腸内細菌 腸は賢い】  腸の中にある脳 Heribert Watzke ted 日本語字幕

 Heribert Watzke氏のプレゼンの内容がどれほど信憑性があるのかは分かりませんが、これまでにない切り口でのプレゼンであることは確かです。

欲とは?

 仏教では、人間には、財欲、色欲、食欲、名誉欲、睡眠欲の五欲があるとしています。キリスト教では七つの大罪、すなわち、高慢(傲慢)、物欲(強欲)、妬み(嫉妬)、憤怒、色欲(肉欲)、貪食(暴食)、怠惰。漫画でおなじみの七つの大罪ですが、色欲(肉欲)と貪食(暴食)が人間の肉体に関わることで、それ以外は精神的な欲望です。仏教では、色欲、食欲、睡眠欲が肉体に関わる欲と考えられます。

 Heribert Watzke氏のプレゼンを観ると、人間の原始的な欲求には腸が大きく関わっているのではないかと思えます。この分野の欲求は腸の脳が指示を出している。頭脳はその指示を身体に伝えるためのハブセンターの役割を担っている。そして、精神面の欲求については頭脳が指示を出している。

 「物事を考え、適切な判断をくだす人体の器官」を「脳」と定義するならば、それは複数存在する。
 そして、生命維持機能も含め、人体の「脳」の役割の大部分は『腸』が果たしているのではないか?

  もし、そうであるのなら、共生関係にある腸内細菌が大きく関与しているのは間違いないこと。微生物の歴史は『神』より古い!

「丹田」とは何だろう?

 丹田(たんでん)とは何だろう? ふと、疑問が湧きました。丹田は、気功や坐禅、腹式呼吸でも出てくる言葉で、禅にに関心のある外国人も”Dantian”、あるいは”hara”として知っている言葉です。『丹田は、内丹術で気を集めて煉ることにより霊薬の内丹を作り出すための体内の部位』(Wikipedia)なのだそうです。

 丹田は、へその下3寸、約10cm位の所にあるとされています。では、奥行きは? へそ下三寸は身体の表面の位置です。奥行き方向ではどの位置にあるのでしょうか。

 「へそと肛門とを結ぶライン上にある」とする説もあります。

 では、その位置にある臓器は何でしょうか? 「特定の臓器はない」とされています。
 特定の臓器はない? あるじゃないですか。小腸が。

 腸が脳の役割を果たしていると考えると、丹田に対する考え方も変わってくるように思います。

 丹田の位置にある臓器は小腸です。小腸の長さはいくらあるのでしょうか? 調べると6~7メートルという答えを見つけることができますが、それは死体の小腸の長さ。生きている人間の小腸は筋肉の働きで縮んで
おり、その長さは約2~3メートル程度なのだそうです。

 では、丹田のある位置は、小腸全体のどの場所に該当するのでしょうか。
 解剖図を見てもよく分からないのですが、大体、真ん中あたりかと思います。

ここからが本題

 このように観ていくと、小腸が脳の役割を担っており、まさに、第2の脳である、・・・と思ってしまいます。そして、そこで共生する微生物がこの第2の脳に働きかけ、人間の「心」を制御している、そのようにも思えてきます。

 大抵、「思えてくる」という所に大きな落とし穴が待ち構えています。
 自分でいうのも何ですが、「もっともらしい説」です。しかし、そこにはとても大きな間違いがあります。

 世の中には、小腸を全摘出した方もいます。上の仮説が正しければ、人は生きてはいけないはずで、ましてや、「心」などどうなってしまうのか想像もできない。しかし、小腸を全摘出しても、人格が失われてしまうわけではなく、栄養補給のために点滴が必要であるものの、生活はいたって普通のようです。[2]

 ということは、腸についての仮説は間違っている可能性が高い。

【参考文献】
1. 「生命の暗号」、村上和雄、サンマーク出版、1997、p.19
2. 「小腸がなくても平気です!〜しょーへーのブログ〜