魏志倭人伝の謎にマンガで突っ込みを入れてみた(その1)

 魏志倭人伝に書かれている邪馬台国の謎ってハードルが高そうなので、マンガにして、突っ込みを入れてみました。

 邪馬台国論争って、なんか世間の関心からズレているんだよなぁ。自分の書きたいことを書いているだけで、巷の人の関心には何も答えない。

 ちょっと、突っ込みを入れたくなる。

 今日は、その第一弾です。

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檄文もらったけど

 魏からの「檄文」を受け取ったけど、これって何に使うの?

 魏志倭人伝が書かれた頃より30年ほど前、卑弥呼が女王として倭国に君臨していました。邪馬台国の女王卑弥呼と間違った解釈がちまたに溢れていますが、魏志倭人伝は、三国志の中で倭国のことを書いた条です。倭国を統治していたのが卑弥呼です。小池百合子ではありません。 このたとえが理解できない人は、以下を読む資格がありません。

 倭国は30国以上の小国の連合体で、その中で、最も人口が多く(7万人)、卑弥呼が住んでいた場所が「邪馬台国」とされています。

 卑弥呼はかなり長寿だったようです。何歳まで生きたのでしょうか。Googleで調べると、自信たっぷりに78歳と書いてありました。そして、治世は189年から248年までの58年間。Googleってスゴイですね。古代日本史を専門とする歴史学者も知らないことが検索のトップでヒットします。たいしたものだ!

 調べてみると、この記載は、英語版Wikiの自動翻訳のようです。スゴイですね英語版Wiki。こんな人たちと歴史の議論はしたくないですが。

 さすがに、日本語Wikiでは「生年不明」とあり、死亡年齢は書かれていません。そんな情報は存在しないのですから、当たり前です。日本の歴史愛好家は鬼女板なぞものともせず、博識と高い見識、調査能力で歴史の謎に・・・挑んでいる方もいます。

 

 いずれにしても、卑弥呼はかなりの高齢だったようです。卑弥呼というと、若い美人のイラストを思い浮かべる人が多いと思いますが、それは間違っています。「卑弥呼 = 老婆」 というイメージが正しいでしょう。

 髪や歯は抜け、痴呆症を患っていたかも知れません。下の世話は付き人まかせ。寝たきりの生活が長かったとも考えられます。

 

 魏からの檄文は邪馬台国に二度届きます。

 これって、何に使うのでしょうか?

 そもそも、ほとんどの倭人は文字を読めないし、誰かが代読したとしても、古代中国語で書かれているので意味が分からない。それを解説してもらったとしても、・・・・、結局、何の役にも立ちそうにない。

 錦の御旗にビビるのは文化を共有している幕府軍だけ。錦の御旗をたてて米軍に突撃すれば、蜂の巣にされます。

 倭人伝には、正始8年に、「拝假難升米 為檄告喩之(詔書と黃幢を難升米に拜假し、告喻しこれを檄した(木札に書いた)(Wikipediaの怪しい訳)」とあります。

 こんなものをもらうより、直径1メートルの銅鏡のような、「魏の威を借る倭国」にふさわしい『倭国は魏国の支援国ですよ、というお墨付き』のようなものが欲しかったのではないでしょうか。

 Wikiの翻訳では「木札に書いた」と訳していますが、そもそもそれを読める人がいないのに、何の役にもたちそうがない。戦闘状態にあった狗奴國に対しても、読めなければ意味が無いし。

 伊代はまだ18だから、・・・今53歳、ヒロミも53歳、早生まれだけどね。

 臺與はもう13だから・・、女王になっちゃった! 「女王様とお呼び!」

 「壹與(壱与)」は「臺與(台与)」の誤りなどとする説もあるようですが、写本同士を比較して、どっちが原本に近いか、正しいかなどとばかげた議論をしているように思います。「どちらも間違い」という選択肢は、議論している人たちには無いらしい。その選択肢を示されると、議論が成り立たなくなるから、気づかなかったことにして、こっそりと無視する。

 こんなこと、いくら議論しても結論が出るわけありません。原本が発見されなければ、写本の内容が正しいかどうかの確認は不可能です。時代が近い写本ならより正しい、・・という理屈は、誤写する可能性とは全く別次元のものです。

 今日はここまで。
 

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