海賊国家イギリスと徳川埋蔵金

中南米の歴史を調べていると、どろどろした人間の縮図を見ているようで嫌になることがあります。「何なの? この人たち!」という感じです。

ところで、「生麦事件」をご存じでしょうか。Wikipediaには以下のように書かれています。
『幕末の文久2年8月21日(1862年9月14日)に、武蔵国橘樹郡生麦村(現・神奈川県横浜市鶴見区生麦)付近において、薩摩藩主島津茂久(忠義)の父・島津久光の行列に乱入した騎馬のイギリス人を、供回りの藩士が殺傷(1名死亡、2名重傷)した事件である。』(Wikipedia,「生麦事件」)

「乱入」という言葉が使われていますが、イギリス人たちは「乱入」したつもりは毛頭なく、日本人から見たら「乱入」だったということのようです。なぜ、島津久光がこの時江戸にいるのかが面白いのですが、それについては調べて下さい。

この事件は有名なので、詳しい内容は、他の資料を見て頂くとして、ここでは、この事件の後始末について書きたいと思います。

この時、イギリス政府が徳川幕府に対して請求した賠償金がいくらかご存じでしょうか。なんと10万ポンドをふっかけてきました。さらに、この事件で亡くなったイギリス人商人ヒュースケンの遺族への慰謝料として1万ポンド。合計11万ポンドを要求しました。結局、幕府はこの膨大な賠償金10万ポンドをイギリス政府に支払うことになるのですが、当時の金で、その額269,066両です。

幕府は、ヒュースケンの慰謝料については、「当事者である薩摩藩からもらえ」と支払いを拒否します。イギリス政府は薩摩藩に支払いを要求しますが、その額は2.5万ポンド。いつの間にか増額されています。薩英戦争を経て、結局、薩摩藩もこの慰謝料を支払うことになります。

最終的に、この事件でイギリス政府は115,000ポンド(309,426両)を日本から巻きあげることに成功します。 (£1 = 2.69066両)  当時の1両は、現在価値に換算すると、約50,600円なので、賠償金額は、約156億5千7百万円になります。

現代人の感覚では、このような金額を書かれてもさっぱり分かりません。
そこで、この金額が当時としていかに膨大なのか、事例を挙げましょう。

幕末、幕府や各藩はこぞって黒船を購入しています。その一隻の価格は、船の大きさや装備で違いはありますが、概ね2万両から4万両だったそうです(「幕末物語」)。
計算してみると、イギリスに支払った賠償金・慰謝料は、黒船を10隻買える金額だったようです。

もう一つ別の事例で見てみましょう。

「徳川埋蔵金」については、誰でも知っていると思います。その額は「360万 – 400万両」(Wikipedia)だそうです。それが現在価値でどれだけのものなのか分かりませんが、はっきりしていることは、・・・。

イギリス政府は、英国商人一人の命と引き替えに、この埋蔵金の十分の一に相当する額を自国に持ち帰ったということです。
黒船来航以降の諸外国による日本からの搾取の構造は、あまり知られていないように思います。

金銀の交換レートの不公平とか学校で学んだように思いますが、イギリスが海賊国家であったことや、(スペインが行ったような)植民地の直接支配ではなく、コストがかからない経済支配を企てていたということはあまり知られていないように思います。不思議なことに、それを誰も非難しないんですよねぇ。

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「幕末の幕府に金がなかったから徳川埋蔵金はない」という主張は、ピント外れのような気がします。幕府は、賠償金309,426両を気前よく支払っています。蓄えがないので手形で支払ったとか言う話は聞きません。

徳川埋蔵金について、Wikipediaには以下のように書かれています。
「1868年4月に江戸城が無血開城となった際、当時財政難に喘いでいた明治新政府は幕府御用金を資金源として期待していた。ところが城内の金蔵は空であったため、幕府が隠匿したと判断した新政府軍による御用金探しが始まった。」(Wikipedia, 「徳川埋蔵金」)

記録を残したのは江戸城内に最初に入った薩摩の有村俊斎(海江田信義)あたりなのでしょうか。資料の信頼性はあるのでしょうか。埋蔵金関係の情報は、「山師」が入るとねつ造の危険性が高まるので、信用できません。
ここで、「城内の金蔵は空であった」という話は良く聞きますが、その出典は何なのでしょうか。「空」の意味は何んなのでしょうか。文字通りなら、金蔵には一両もなかった、と読めるのですが。

「現ナマ」という言葉があります。「現ナマは、江戸時代、上方の承認が給料のことを「生(しょう)」と言っていたことから、「生」が訓読され「なま」となった。給料が「生」と呼ばれた由来は、米や魚などの現物支給に対し、お金がそのまま貰えるといった意味からと考えられる。やがて「生」はお金をさすようになり、本物のお金を「現金」と呼ぶように「生」に「現」が付けられ、「現ナマ」と呼ばれるようになった。(「語源由来辞典」)

早口言葉の「生麦・生米・生卵(なまむぎ なまごめ  なまたまご)」の本当の意味は、「生麦」のために「現ナマ」が「現ポンド」に変わったという江戸庶民の言葉遊びかも。黒船来航による混乱を唄った「上喜撰たつた四杯で夜も眠れず」という狂歌に似ているような気がします。 「上喜撰」と「蒸気船」(黒船)をかけています。

そもそも「生麦」という言葉は、早口言葉と生麦事件以外では一般には使われない。
あるいは、外国人がそのままでは食べられないものとして「生卵」が入っているのかも。

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