海賊の財宝伝説に迫る(2):海賊の地図から財宝の埋蔵場所を特定する

ココ島の財宝伝説

 前回、コスタリカのココ島に隠された膨大な財宝の伝説について書きました。

 今回は、その埋蔵場所の特定をしてみたいと思います。海賊の隠した財宝のナゾの解明編です。

 ココ島ではこれまで、たくさんのトレジャーハンターが財宝の発掘に挑みましたが、未だ見つかっていないようです。現在は、世界遺産に指定されているので、発掘などできません(たぶん、島に常駐している沿岸警備隊に賄賂を渡してこっそり発掘している人は少なからずいると思います。ネット上で、お金を払えば発掘許可が降りて発掘できるようなことを書いているサイトがありましたが、真偽は不明です。複数のサイトでそのような記述があるので、本当のことのようです。現在は分かりません。)

 財宝の埋蔵場所を特定することなんて本当にできるのでしょうか?

 埋蔵金を捜すには、「土を掘るより資料を掘れ」と言う言葉が示すとおり、資料の収集・分析により、ほぼ場所は特定できる、そんな気がします。特に、ココ島の場合、それが容易だと思います。

 日本から見て地球の裏側のコスタリカ。しかも、コスタリカの港から船で片道35~40時間もかかる場所にある島です。管理人がいた頃は、プンタレーナス港から漁船で往復1週間の旅程でした。普通の日本人は財宝の発掘どころか、現地に行くことさえできません。

 でも、図上でなら財宝の埋蔵場所を検討することは簡単です。
 それに、・・・・、ここだけの話ですが、・・・・、「宝の地図」が残されているのです! 楽勝です!

海賊が残した宝の地図

 埋蔵金探しには「宝の地図」が必須です。これがないとロールプレーイングゲームが前に進みません(笑)。

 スチーブンソンの「宝島」は、海賊が残した地図を中心に話が展開していきます。「海賊」、「財宝」、「埋蔵」、「宝の地図」。まさにキャッチコピー満載です。さらに、財宝のありかを暗示した歌が読者の気持ちを引きつけます。 

“Fifteen men on the dead man’s chest – Yo-ho-ho, and a bottle of rum!”

 死んだやつの衣装箱に15人の男、 ヨーホーホー、ラム酒を1本!

 ココ島の財宝はきっとある。その確信と期待のもとに、資料から財宝のありかを特定する旅に出発しましょう!


Ⓒ Nekoshi, gold ingot

残された宝の地図が示す場所とは

 先ずはココ島の形状を見てみましょう。

 ココ島は、島を仮に正方形にすると、7Km四方の小さな島です。しかし、高低差があり、最高地点は海抜634mのイグレシアス山(Cerro Iglesias)がそびえています。小さい島ですが、この高低差があることで埋蔵金探しを難しくしています。島の周囲は断崖絶壁に囲まれています。
(注:イグレシアス山の標高は、Wikipediaでも634mと575.5mの二つの数値が見られます。)

 島の周囲には、さらに小さな島・岩礁が見えます。また、島内には多くの川が流れています。

 ココ島には、Wafer Bay、Chatham Bay、Iglesias Bayなどの湾がいくつかありますが、船の碇泊や島への上陸にはWafer BayとChathan Bayが使われます。そして、海賊の財宝を隠したとされるのが、Chatham Bayの近く、と伝承は伝えています。

ココ島海図
   Source: コスタリカ国国土交通省国土地理院 1963年作製の海図

 さて、伝えられている『宝の地図』とはいったいどのようなものでしょうか。まずはそれを見ることにしましょう。
 下の画像がメアリー・ディア号(Mary Dear)の航海士が残したとされる「リマの財宝」を埋めた場所を記したオリジナルの地図です。チャタム湾の正確な場所をピンポイントで示しています。地図の右上に緯度経度が書かれています。北緯5°35′、西経86°55′です。

メアリー・ディア号の航海士が残したオリジナルの宝の地図
    Foto: メアリー・ディア号の航海士が残したオリジナルの宝の地図

 Google Earthでこの座標を確認すると、海の上です。これはGoogle Earthで使われている座標系と当時使われていた座標系が異なるためだと考えられます。島が特定されているので、今回は、この座標は意味がありませ。そもそも、座標で10m程度の範囲に絞り込むためには、度分秒では不十分で、”秒”よりさらに小さな値まで必要になります。当時はそんな精密な測定はできなかったので、書かれている座標は、あくまでも島の位置を示す程度のざっくりとした座標です。

 座標の下にも何やら別の座標のようなものと2本の直線が書かれています。

 『N20°W』と『N63°Σ』です。 

 これは何でしょうか。たぶん、磁北からのズレを度数法で表示したものです。2本の直線が交わるところに財宝が埋められています。2本の直線のなす角度は、20°+63°=83°、ほぼ直角です。

 宝の地図の場所を海図に落としたものが下の画像です。直線が北側の島を横切る位置と、東側の断崖、そして、2本の直線の交角で位置を特定することができます。

宝の地図

 やはり、Chatham Bayの近くに埋蔵したようです。この岸辺は砂浜になっており、上陸に適した場所です。
 海賊が隠した財宝を見つけるのは簡単そうに思えます。

 その理由として、小さな島であること、周囲は断崖絶壁で囲まれていること、島内はかなりの高低差があること、そして、隠された財宝が膨大な重量物であること、などを挙げることができます。

 ① 小さな島で、かつ、調べる場所は島内に限定されます。
 ② 島の周囲は断崖絶壁になっており、上陸できる砂浜は限られています。
 ③ 小さな島なのに標高634mの山があるなど起伏に富んだ地形で、重く、膨大な量の財宝の運搬は困難です。
 ④ 財宝は、金銀の延べ棒だけでも数百本もあります。こんな重量物を起伏の激しい島内奥深くに運搬するのは無理です。さらに、財宝を隠すために穴まで掘らなければなりません。下に示す膨大な量の財宝を埋めるためには、最低でも6畳の部屋くらいの容積が必要です。

 公式記録にある財宝の量は以下のものです。

【埋蔵金】
金の延べ棒 700本
ドブロン金貨で満たされた樽 20個
スペインの8レアル銀貨 100トン以上
“Tesoro: 700 lingotes de oro, 20 barriles llenos de doblones de oro,y más de 100 toneladas de reales de plata españoles.”

 


Foto: Ⓒ Nekoshi, 黄金の聖母像

 ココ島でのダイビングツアーの出発港になっているプンタレーナスは、恐ろしく暑いところです。管理人はプンタレーナスへ何度か行ったことがあるので、そこの猛暑を思い出します。ココ島も相当暑いと思います。こんな暑い場所で、人は労働しません。まじめに働くような人だったなら、海賊になっていない。

ココ島等高線

 財宝を隠した場所は、地図が示すとおり、Chathamビーチからそれほど離れていないと思います。
 ところが、財宝は未だ見つかっていません! 

 なぜ発見されないのか。楽勝だと思っていた海賊の財宝の謎解きが最後でつまずきました。

 管理人が不思議に思うのは、このことです。簡単なパズルのように思えるのに、なぜか解けない。そんな感じです。仮説のどこかに過ちがあるのでしょうか。それとも、重大な要件を見落としているのでしょうか。

なぜ財宝が見つからないのか

 宝の地図までそろっているのに財宝が見つからない。これが小説なら”禁じ手”です。宝の地図の存在でさんざん読者の関心を引いておきながら、地図は偽物でした、ではすまない。

 過去のトレジャーハンターたちは、当然、この宝の地図を用いて財宝を捜しました。この地図を残したのは、メアリー・ディア号の航海士ジェームズ・アレキサンダーI世(James Alexander I)です。

 ここまで書いて、財宝が見つからない理由が分からない。どうも、情報が不足しているようです。
 そこで、別の視角から考えて見ましょう。財宝を埋めた海賊の気持ちになって考えて見ます。

1.なぜ財宝を埋めたのでしょうか?
 誰かに奪われるのを恐れたからでしょう。誰かとは? それは、他の海賊か、奪われた財宝の行方を必死に追っているスペイン艦隊か、さもなくば、イギリス艦隊かも知れません。海賊の周りは全て敵ばかりです。

2.いつまで埋めたままにしておくつもりだったのでしょうか?
 それは、ほとぼりが冷めるまで、と考えられるのですが、果たしてそうでしょうか。ほとぼりはいつ冷めるのでしょうか?
 海賊にとって、イギリスの私掠船も他の海賊以上に怖い存在です。1856年のパリ宣言でヨーロッパ列強は私掠船の利用を放棄しますが、1820年ころは、まだそこら中にいたと思います。ほとぼりが冷めるような状況ではなかったでしょう。海賊の悪名が高まれば高まるほど、奪った財宝は狙われることになります。
 戦いでいつ死ぬか分からないのに、10年も20年も先を見据えたような財宝の隠し方をするでしょうか。直ぐに掘り出して、いつでも使えるように隠した。どうも、そんな気がします。徳川埋蔵金とは違います。

3.財宝を掘り出すときに必要な人数は?
 財宝を埋めるときは、海賊船の乗組員が作業をします。埋蔵場所の秘密がバレるのを恐れて、乗組員を皆殺しにしてしまった。・・・・、でも、それはあり得ない。当時の帆船の操船にはたくさんの人間が必要でした。船員を殺してしまっては、操船ができません。また、他の船に襲われる恐れもあります。船長は、船員を簡単には殺せない。
 財宝を掘り出すときはどうでしょうか。埋めたときと同じくらいの人員が必要になりそうです。埋めるのも掘り出すのも短期間に行う必要があります。いつ追っ手が迫るか分かりません。

4.財宝はどこにある?
 それが分かれば、ブログを書いていないで、こっそり掘りに行っています(笑)。

 冗談です。たぶん、キーとなる情報が欠落しているのだと思います。全てのピースが揃っているのに絵にならないジグソーパズルのようですが、実は、重要なピースが欠けているような気がします。

 前述したように、重い財宝を遠くまで運ぶのは無理があると思います。ましてや、標高の高い山の上に隠すことは現実的ではないようです。財宝を入れている木製の衣装箱も相当の重量がありそうです。補強材としてたくさんの鉄の金具が使われています。衣装箱本体だけでも30~50Kgの重量があったでしょう。

 また、穴を掘って隠すというのも海賊たちにとって大きな負担です。掘っても直ぐに固い玄武岩の岩が出てきます。やはり、映画などに出てくるように、海辺の洞窟に隠したと考えるのが妥当でしょう。これだと直ぐに船に積み込むことができます。

 海賊が財宝を陸揚げする理由は、重量物を積んだままだと船の速度が出ないためです。海賊船がスペイン商船を襲うことができたのは、相手の船が荷物を満載していて、速度が出なかったためです。

 そのことをよく知っている海賊たちは、財宝を一度に運搬して売り払うということはしなかったと思います。海賊の宝を狙うハイエナのような私掠船があたりにうようよいます。襲う側から、狩られる立場になっています。このため、財宝は、小分けして売り払っていたのではないでしょうか。

 このような推理から導き出される結論は、ココ島での財宝の隠し場所は、『洞窟』だということです。

 ココ島は、玄武岩質の火山島なので、鍾乳洞ができるような石灰岩はありません。洞窟ができるとすると、イグレシア山の溶岩流出穴か、または、波によって浸食された海岸の洞窟(『海蝕洞』)ということになります。

 当時の海面水位は現在よりも1m程度低かったようです。(世界平均海面水位平年差の推移、IPCC

 海岸洞窟を利用すると、重量物の運搬を楽に行えます。洞窟内にも海水が入り込んでいるので、水の浮力を利用して運搬することができます。これは海賊たちが財宝の埋蔵場所を決定するときの大きな条件になりそうです。

財宝を隠した洞窟
Foto: Ⓒ Nekoshi, 24個の衣装箱に詰められたリマの財宝の隠し場所

5.海賊たちの略奪目標額は?
 不思議に思うのは、海賊たちが、「リマの財宝」など、とても価値のある膨大な量の財宝を略奪したのに、その後も海賊活動を続けていることです。「リマの財宝」だけでも、全ての乗組員が一生、遊んで暮らせるほどの金銭的価値があったと思うのですが、彼らは略奪を止めることはなく、結局は、縛り首になり人生を終えています。

 どうも違和感を感じます。上記の分析で、根本的な部分が間違っているように思います。

 それは何なんだろう? 明らかに情報が不足しています。それは、前回の記事を途中までにしてこの記事を書き始めたのが理由かも。 

海賊の歌のナゾ

 気になっていることの一つに、記事の冒頭でも紹介した小説『宝島』の歌があります。

  “Fifteen men on the dead man’s chest – Yo-ho-ho, and a bottle of rum!”

 死んだやつの衣装箱に15人の男、 ヨーホーホー、ラム酒を1本!

 なぜ、15人なのでしょう? なぜ、”on the dead man’s chest”で”on” が使われているのでしょうか。

 『宝島』は単なる空想冒険小説だといえばそれまでなのですが、どうもそうではないような気がします。

 『ロビンソン・クルーソー』が実在のモデルの手記に基づいて書かれているように、『宝島』も何らかの海賊にまつわる伝承に基づいて書かれていると思います。そして、この歌は、作者が作ったものではなく、その伝承が伝える歌そのものだったのではないか。

 『ロビンソン・クルーソー』のモデルのことを知れば知るほど、『宝島』に書かれている内容が、一部の脚色はあるものの、かなりの部分が「ある情報源」に基づいている。そんな気がします。

 財宝を埋めるのに15人では少なすぎる。当時の帆船を操作するために最低限必要な船員の人数は、船の規模にもよりますが、概ね50~90人程度だったと考えられます。15人は少なすぎます。嵐に遭って生き残った15人という解釈はもっとおかしい。嵐に遭ったら、最初に重い積荷を捨てます。15人しか生き残らなかったのなら、船は財宝とともに海の藻屑と化しています。

 この歌の原文全体は、“Fifteen men on the dead man’s chest Yo-ho-ho, and a bottle of rum! Drink and the devil had done for the rest Yo-ho-ho, and a bottle of rum!”

 これの日本語訳は出版社によって大きく異なっています。日本語訳だけ読むと「そんなこと、原文には書いていないよ」ということになるので、原文だけを見ましょう。

 翻訳者の方が相当苦労されているのが分かります。原文に書いていない文言をたくさん付け加え、無理やり意味の通じるように訳文をねつ造しいるものもあります。これは『歌詞』なので、原文に書かれていないことを追加するとそれは翻訳ではなく『作文』になります。

 この歌はなぜ意味が分からないのか。この歌の意味が分からない理由は、作者のスチーブンソンも理解していなかったからではないでしょうか。「情報源」に書かれていることをそのまま書いただけ。そんな気がします。
(和訳に関心のある方は、Yahoo知恵袋『ロバート・ルイス・スチーブンソン著の小説「宝島」に出てくる海賊の歌』で紹介されていたのでそちらをご覧下さい。)

海賊の宝物の隠し場所はやはり洞窟

 海賊の宝物は「埋められた」と多くの本で書かれているので、最初は穴を掘って埋めたと思っていたのですが、どうもそうではないような気がしてきました。

 船荷一杯のお宝を盗んだのだから、それだけのものを隠すためには、かなりの容積のある隠し場所が必要となります。人力で土を掘って隠すということは考えられません。やはり、ココ島の海賊の財宝は、洞窟に隠されたと考える方が論理的です。

 そこで、具体的なイメージを持つために財宝の隠匿シーンを作ってみました。

 財宝の隠し場所の入り口には、2体の純金の天使像が立っています。ついでに階段も黄金でできています。なんて豪華なのでしょう。見ているだけでリッチな気分になります。向かい合う2体の彫像は、映画「ロード・オブ・ザ・リング」や「ネバーエンディング・ストーリー」でも出てきます。神秘的なシーンの小道具としては最高のものの一つでしょう。

 財宝を埋める海賊の人数は15人。上の画像では分かり難いのですが、拡大すると15人の海賊が宝物を隠しているのが分かります(1人隠れていて見え難いのですが)。元画像は、幅6000pxで作ったので、拡大に耐えます(笑)。

  “Fifteen men on the dead man’s chest Yo-ho-ho, and a bottle of rum! Drink and the devil had done for the rest Yo-ho-ho, and a bottle of rum!”

 この歌はスチーブンソンの『宝島』に出てきます。
 実はこの歌は、ココ島の財宝と関係があるらしい。

 海賊船には百人近く乗っているはずなのに、なぜ、15人なのか不思議でした。

 これは、海賊たちが当時、基地としていたココ島を出て、新たな獲物を求め航海に出たとき、島に残っていたのは、1人の外科医と治療が必要な14人のけが人でした。合計15人です。この時、出港した海賊船は、二度とココ島に戻ることはありませんでした。海賊たちは襲撃に失敗し、殺されたり、捕らえられたりしました。

 スチーブンソンの『宝島』は、作者の空想だけで書かれたものではなく、多くの史実、あるいは伝承に基づいて書かれているようです。

宝島の地図の信憑性

 『リマの財宝』を盗んだ海賊トンプソン船長は、それをココ島に隠しました。その隠し場所を示す地図が現在まで伝わっています。『宝島』や『宝島の地図』は、決して架空の話ではありません。信憑性がとても高い『伝承』です。

 この地図を描いたのは、海賊船「メアリー・ディア号」の乗組員だったジェームズ·アレクサンダー·フォーブス(James Alexander Forbes I)です。彼は、メアリ-・ディア号の航海士で、『リマの財宝』を掠奪するようウイリアム・トンプソン船長を扇動した人物として知られています。

 彼が死んだとき、長男のジェームズ(James Alexander 2nd)に、海図(チャート)といくつかの文書が残されました。すべて彼自身の手書きによるものです。

 海図は、ココ島のチャタム湾を描いた正確な地図でした。文書には、ペルーのリマから運ばれた「メアリー・ディア号」の財宝、すなわち、『リマの財宝』がココ島にどのように埋められたのか、そして、それを見つけるための完全な指示が詳細に記述されていました。

 地図と文書は、1939年に、ジミー・フォーブス(Jimmy Forbes (the 4th))に受け継がれました。彼は、人生の大部分と多額の資金を、チャタム湾の浜辺に埋められたとされるトンプソン船長と彼の曾祖父が隠した財宝の捜索に費やしました。しかし、彼は、財宝どころか、1枚の金貨さえ見つけることができませんでした。見つけたのは、わずかに、19世紀頃のものと思われる金の鎖だけでした。


チャタム湾(Chatham Bay)の財宝を隠し場所を示す宝の地図(オリジナル)

 ジミー・フォーブスは、財宝の存在を固く信じていました。そして、財宝を見つけることなく、典型的なトレジャーハンターの末路を辿ります。

 宝のありかを示す地図や文書まで残されているのです。航海士ジェームズ・アレクサンダーが子孫に、偽の地図を残す理由はありません。ジミーが信じたように、それらの遺物はすべて本物だったと考えるのが妥当だと思えます。

 それでは、なぜ見つからなかったのか。
 その理由を知るには、別の物語を紐解く必要があります。

 YouTubeにちょっと素敵なバイオリン演奏がアップされていたので、リンクを貼ってみました。「パイレーツ・オブ・カリビアン~呪われた海賊たち(He’s a Pirate) 」をきれいな女性がバイオリンで弾いています。弾いているのはTaylor Davis という米国のバイオリニストです。

   YouTube: Taylor Davis